古くから曹洞宗(そうとうしゅう)の本山として人々の信仰を集めている禅寺。創建は弘安元年(1278年)で、曹洞宗の開祖である道元の高弟寒巌(かんがん)禅師によって開山されました。国指定重要文化財に指定されている寒巌(かんがん)義尹文書や「梵鐘」(ぼんしょう)をはじ...
※地震の復旧工事のため休館しておりましたが、令和5年(2023年)2月9日に公開を再開しました。 明治29年(1896)、第五高等学校(現在の熊本大学)の英語教師として来熊した夏目漱石(なつめそうせき)。 彼は4年3か月の熊本滞在期間中に6回も転居。そのうち、5番目に移り...
戦国時代の武将加藤清正(かとうきよまさ)を主神とする加藤神社。明治4年(1871年)、現在の熊本城本丸と宇土櫓(うとやぐら)の間に「錦山神社(にしきやまじんじゃ)」として建立され、その後、明治7年(1874年)熊本市京町へ、昭和37年(1962年)に現在の熊本市本丸に移り...
※休館中 細川刑部(ほそかわぎょうぶ)家は、細川家三代忠利(ただとし)公の弟、細川刑部少輔興孝(ほそかわぎょうぶしょうゆうおきたか)が正保3年(1646年)に2万5千石を与えられて興したものです。この建物は、その後、子飼(こかい)、現在の熊本市東子飼町で下屋敷とし...
立田山麓にある、熊本藩主・細川家の菩提寺泰勝寺(たいしょうじ)跡です。細川家初代藤孝(ふじたか)夫妻と二代目忠興(ただおき)とガラシャ夫人の墓「四つ御廟(ごびょう)」や、武人でありながら茶道にかけては国内随一といわれた細川忠興の原図に基づいて復元された茶室...
江津湖は、つながる二つの湖、上江津湖(かみえづこ)と下江津湖(しもえづこ)からなっています。長さは2.5km、周囲6km、水面の面積は約50ヘクタール。一日の湧水量は40万トンです。交通量の多いバイパスや電車通りがすぐ側を通りながら、その豊かな水に貴重な植物や野鳥が育...
日本五大稲荷の一つに数えられ、全国的に商売の神様として知られています。毎年2月の初午(はつうま)の日に行われる初午大祭には、商売繁盛や五穀豊穣を願う大勢の参拝者が訪れます。数回に分けて行われる「福餅まき」では、高い石垣の上からまかれる紅白の福餅を拾おうと人々...
熊本の「通潤橋(つうじゅんきょう)」や「霊台橋(れいたいきょう)」を造った明治の名石工(いしく)・橋本勘五郎(はしもとかんごろう)が、東京の「日本橋」や「江戸橋」、皇居の「二重橋」を架設したのち、帰郷して手がけた石橋のうちの一つ。明治8年(1875年)に架設され...
熊本城の築城に際して、清正は上方から山伏(やんぼし:修験僧のこと)の龍造院(りゅうぞういん)を招いて地鎮祈祷をしました。祈祷は無事に終わったのですが、上方に帰る龍造院を送るために開かれた宴席で、龍造院がふと城構えについて話したから大変です。城の秘密が漏れる...
熊本城を囲むように流れる坪井川(つぼいがわ)沿い、千葉城橋(ちばじょうばし)と厩橋(うまやばし)の間に位置する高橋公園は、戦前の第六師団長官舎跡地で、熊本市の第7代市長で市電の開通や水道の敷設など、熊本市発展の基礎をつくった高橋守雄(たかはしもりお)を記念し...
熊本市のほとんどの場所からその姿を望むことができる金峰山は、「東の阿蘇(あそ)」に対して「西の金峰山」と呼ばれ、熊本市民に親しまれています。周辺には、夏目漱石(なつめそうせき)の「草枕(くさまくら)」に登場する「峠の茶屋」や、宮本武蔵(みやもとむさし)が「...
全長235m、幅18mのサンロード新市街は、下通り(しもとおり)商店街の南側に位置しています。明治36年(1903年)、当時熊本市を二分していた連兵場・兵役跡地に完成し、熊本一の繁華街として映画館、飲食店、商店などが並び、多くの人で賑わいました。現在は、映画館、ゲーム...