

桜の馬場 城彩苑内にある施設で、熊本城の特別見学通路の見所を、最新のVR映像とスタッフのライブ解説で紹介しています。またプロジェクションマッピングでは、熊本地震で被災した当時の状況を体感できます。また、熊本の歴史をテーマにした寸劇や時代衣装を着ての殿様・姫様...

昭和47年(1972)、九州縦貫自動車道開通に伴う発掘調査によりベールを脱いだ塚原古墳群は、県民上げての保存運動の結果残されました。保存方法は、遺跡の下をトンネルで通る、という全国で初めてのものです。現在、野球場が約5つも入る広々とした古墳群は、77基の復元された古...

「日本で唯一味噌にご利益がある」といわれる神様をまつった神社で、約1300年前に建立されたものです。和銅6年(713年)に悪疫が流行した際、平癒を祈願して「御祖天神」を御祭神としてまつったのがはじまりとされています。その後、国分寺で大量に腐ってしまった味噌を美味し...

金峰山(きんぽうざん、きんぼうざん)の北側にある「拝ヶ石」と呼ばれる巨石群。最も大きな石は約9mの高さがあり、巨石文明の遺跡ではないかという説もありましたが、その後の調査で、中世の宗教遺跡ではないかと考えらています。岩にペトログラフといわれる古代文字が刻まれ...

菊池一族の初代である菊池肥後守則隆公(きくちひごのかみのりたかこう)により、延久2年(1070年)に創建され、学問の神様として知られる菅原道真公をおまつりしています。熊本城の南側に位置し、江戸時代は武家の町であった山崎の氏神として、古くから人々の崇敬を集めていまし...

熊本市中心市街地・上通入口の複合ビル、びぷれす熊日会館3階にある美術館。多彩な企画展(有料)をおこなうメインのギャラリー以外はすべて無料。国際的に活躍する草間彌生(くさま・やよい)、宮島達男(みやじま・たつお)、ジェームズ・タレルなどによるアートワークが鑑賞...

三賢堂は、熊本市出身の政治家安達謙蔵(あだちけんぞう)が熊本市民の精神修養の場として昭和11年(1936)に建立した円筒二重層の鉄筋コンクリートのお堂です。 釣耕園(ちょうこうえん)の庭園の奥にある円形の堂で、肥後の三賢人として、菊池武時(きくちたけとき)、加藤清...

二天一流の剣豪・宮本武蔵(みやもとむさし)はその晩年を熊本で過ごし、熊本の千葉城(ちばじょう)にあった家で、62歳の生涯を閉じました。熊本時代は、肥後藩主細川忠利公(ほそかわただとしこう)の客分として招かれ、金峰山の霊巌洞(れいがんどう)という洞窟で「五輪書...

熊本大学の裏、立田山(たつだやま)の上り口にある小峯墓地は、立田山の遊歩道への通り道としても、多くの市民に親しまれています。この墓地の中でひっそりと立っているのがこの「鼻かけ地蔵」。鼻がかけていることからそう呼ばれています。旧制第五高等学校(現在の熊本大学...

小泉八雲(こいずみやぐも)や夏目漱石(なつめそうせき)が教鞭をとった旧制第五高等学校(現在の熊本大学)の前身である、第五高等中学校の校舎として明治22年(1889年)に完成した建物です。「ナンバースクール」と呼ばれていた旧制高等学校である第一高(現在の東京大学)...

元弘2年(1332年)9月に創建された神社です。加藤清正(かとうきよまさ)が大津街道(おおづかいどう)を作り、陸上交通が盛んとなり、白川(しらかわ)近くの三宮(さんのみや)は水害を受けるので、細川家第3代綱利(つなとし)の時、寛文元年(1661年)9月、大道往来の交通安全...

徳富蘇峰(とくとみそほう)は熊本洋学校から同志社に学び、17歳の時に熊本に戻りました。明治15年(1882)19歳の時に大江義塾を開き、その後出版した「将来之日本」が出世作となり上京しました。 徳富蘆花(とくとみろか)は蘇峰と5歳違いの弟であり、名作「不如帰」「自然と...