八景水谷公園は、第5代肥後藩主細川綱利(ほそかわつなとし)公によって開かれた公園で、八景水谷水源(はけみやすいげん)があります。豊富な湧水量を誇り、大正13年(1924年)、熊本市の上水道が敷設されてからはその水源として利用されています。園内には4つの井戸があり、...
※三つ御廟(ごびょう)は保存修理工事中、令和4年度(2022)に完成予定です。 熊本市にある花岡山(はなおかやま)の麓にある公園で、熊本藩主細川家の菩提寺妙解寺(みょうげじ)跡として、立田自然公園の泰勝寺(たいしょうじ)跡とともに国の史跡に指定されています。 妙...
寛永17年(1640年)、57歳の時に細川忠利(ほそかわただとし)公より客分として熊本に招かれた宮本武蔵(みやもとむさし)。正保2年(1645年)に62歳で生涯を閉じるまでの5年間を熊本で過ごしました。細川公に与えられた千葉城(ちばじょう)跡の屋敷で息を引き取った武蔵の葬...
元弘2年(1332年)9月に創建された神社です。加藤清正(かとうきよまさ)が大津街道(おおづかいどう)を作り、陸上交通が盛んとなり、白川(しらかわ)近くの三宮(さんのみや)は水害を受けるので、細川家第3代綱利(つなとし)の時、寛文元年(1661年)9月、大道往来の交通安全...
開創から約400年の歴史がある、加藤家代々の菩提寺で日蓮宗(にちれんしゅう)の名刹(めいさつ)です。天正13年(1585年)に、清正(きよまさ)が父の菩提寺として大阪に建立したものを、肥後入国後、熊本城内に移し、清正の逝去後、さらに現在の中尾山中腹に移建されました。...
上熊本駅は、明治24年(1891年)に池田停車場という名前で設置されました。夏目漱石(なつめそうせき)が降り立った駅としても有名です。その後、明治34年(1901年)に上熊本駅と改称、大正2年(1913年)には、洋風木造の駅舎が建てられました。大正初期の駅舎の現存例として、...
この建物は、熊本洋学校に外国人教師ジェーンズを迎えるため明治4年(1871)に建てられた、熊本県内に現存する最古の洋風建築で熊本県の重要文化財に指定されています。 ジェーンズは明治4年から明治9年(1876)までの5年間ここで暮らし、熊本の若者達を教育し、熊本の近代...
明治30年(1897年)、文豪夏目漱石(なつめそうせき)は、友人の山川信次郎(やまかわしんじろう)とともに熊本から現在の天水町(てんすいまち)へ旅をしました。その時に通ったのが、鳥越峠(とりごえとうげ)と野出峠(のいでとうげ)。当時この2つの峠には茶屋があり、有名...
徳富蘇峰(とくとみそほう)は熊本洋学校から同志社に学び、17歳の時に熊本に戻りました。明治15年(1882)19歳の時に大江義塾を開き、その後出版した「将来之日本」が出世作となり上京しました。 徳富蘆花(とくとみろか)は蘇峰と5歳違いの弟であり、名作「不如帰」「自然と...
池泉式回遊庭園。寛永9年(1632年)、肥後細川初代藩主・細川忠利公(ほそかわただとしこう)が御茶屋を置いたのが始まりで、その後、三代目藩主綱利公(つなとしこう)のときに庭園が完成し、中国の詩人陶淵明(とうえんめい)の詩「帰去来辞(ききょらいのじ)」に因み、成趣...
熊本市の西部、権現山(ごんげんさん)の中腹にある装飾古墳群。国の史跡に指定されている2基は、勝負谷の1号墳(甲号)と高城山の3号墳(乙号)です。1号墳の石室内には凝灰岩の板石6枚を使って石障(せきしょう)がめぐらされており、その内側に靫(ゆき)、同心円文、対角線...
釣耕園(ちょうこうえん)の下手にあり、藩の医学校再春館(さいしゅんかん)の師役村井家の別荘跡で、見朴(けんぼく)の子、椿寿(ちんじゅ)(琴山(きんざん))が作庭したと伝えられています。庭には釣耕園の水を引き、曲水をつくり、その下手に中国の洞庭湖を模した池を...