

長六橋は、熊本市を流れる白川に架かる歴史的な橋で、その起源は慶長6年(1601年)にまで遡ります。加藤清正による熊本城築城とともに、城下町の交通を支えるために白川に初めて架設されました。長六橋は白川の度重なる氾濫のために幾度となく流失する度に、修復・架け替えが行...

石光真清(いしみつまきよ)は明治から大正にかけて、激動の東アジアで対ロシアの情報収集に従事し、波乱に富む生涯を送った人物です。 自伝的手記は、没後遺族によってまとめられ「城下の人」など四部作*として出版されました。作品は近代日本と当時の東アジアの様子を伝える資...

明治33年(1900年)、漱石が熊本で最後に暮らした住居。通勤途中に建設中の家を見て気に入り、借りたと伝えられています。2階を書斎として使い「菜の花の隣りもありて竹の垣」の句を詠みました。現在この建物は非公開になっています。

明治31年(1898年)4月から7月までのわずか4か月間暮らしたといわれる、川べりに建つ家で、明午橋がすぐ近くに見える場所にありましたが、現在は現存せず、跡地には記念碑が建てられています。

熊本市を流れる坪井川(つぼいがわ)にかかるアーチ型の石橋。東京「日本橋」や皇居の「二重橋」などを手がけた、熊本出身の明治の名石工・橋本勘五郎(はしもとかんごろう)の手によって造られたものです。明治10年(1877年)に架設されたので「明十橋(めいじゅうばし)」と...

金峰山系一帯に点在する20箇所(熊本市内の19箇所、玉名市の1箇所)の湧水群を指しています。九州巡幸をされた明治天皇に水を献上した「天水湖(てんすいこ)」は熊本県の熊本名水百選の一つ。ほかに、細川藩のお茶屋として造られた「釣耕園(ちょうこうえん)」、宮本武蔵が「...

六殿神社は、治承2年(1178年)に、平重盛・武蔵の六孫王権現を勧請したと伝えられ、守富荘を治めた木原氏の氏神だと伝えられています。10月9日の大祭には、古式豊かな神楽と流鏑馬(やぶさめ)が奉納されます。神楽は肥後神楽の一つで木原神楽とも呼ばれ、起源・伝来は不明で...

緑川が大渡町(熊本市川尻町)裏に曲流していて、洪水の水吐けが悪かったため、慶長8年(1603年)加藤清正は、防潮と出水放水路として、曲流部から小岩瀬地区までの長さ1,448余、幅127mの掘削事業を完成しました。 これが堀川呑吐で、ここに架設した橋が呑吐橋です。 現在では...

日本三大不動尊の一つで、境内の広さは、約6,600平方メートル。門前十数段の石段を登ると仁王門があり、その両方に丈九尺余りの仁王像二体がおかれています。 天台宗に属し院号を尊乗院と号し、本尊は不動明王、木像一躯、立像厨子入りです。比叡山延暦寺の末寺で、伝教大師の...

観音寺南望山慈眼院は、百済国日羅大師の開基で、南都西大寺の枝院である本尊如意輪観世音菩薩・脇士毘沙門天・持国天が安置されています。 本尊は聖徳太子の作、脇士は運慶・湛慶父子の作とも言い伝えられています。 越前の国永平寺の開祖道元禅師が宋より帰国時、南海にて船...

現在熊本県で国指定の貝塚は2つで、いずれも熊本市南区城南町にあります。 御領貝塚は、縄文時代後期(今から約3000年前)の史跡です。総面積約4ヘクタールと推定される西日本最大級の貝塚で、おびただしい貝殻は見るものを圧倒します。ここから出土した土器は「御領式土器」と...

塚原古墳公園の中にある資料館です。考古・歴史・民俗の3つの展示室があり、豊富な収蔵品を備えています。塚原古墳群の出土品をはじめ各所からの縄文・弥生時代の出土品や民俗資料などを約400点を展示しています。