開創から約400年の歴史がある、加藤家代々の菩提寺で日蓮宗(にちれんしゅう)の名刹(めいさつ)です。天正13年(1585年)に、清正(きよまさ)が父の菩提寺として大阪に建立したものを、肥後入国後、熊本城内に移し、清正の逝去後、さらに現在の中尾山中腹に移建されました。...
放牛は、江戸時代の初め頃(1670年代)、熊本の城下町(現在の新市街辺り)に鍛冶職の子として生まれました。 建立については諸説ありますが、少年時代、父が武士に無礼討ちにされたため、他に身寄りのなかった彼は、お寺に引き取られ僧になり、30年間の修行の後、非業の...
別名、若宮(わかみや)さんとも呼ばれるこの神社は、建久8年(1197年)河尻三郎源実明が、鎌倉の鶴岡八幡宮の御分霊を勧請したのが始まりといわれます。創建時は富合町小岩瀬(とみあいまちこいわせ)にあったものが、天正15年(1587年)に現在地に移されました。毎年恒例の秋...
ハンナ・リデルは明治24年(1891)英国国教会の宣教師として来日し、2年後に熊本に来ました。ある時、咲き誇る桜並木の下にうずくまるハンセン病患者たちの悲惨さに心を打たれ救済にあたる覚悟をしました。 そのため、英国、日本の教会、政財界に寄付を募り、明治28年(1895)...
後藤是山(ごとうぜざん)は明治19年(1886)大分県久住町(現在の竹田市)に生まれました。 九州日日新聞社から国民新聞社(東京)に派遣された是山は、徳富蘇峰(とくとみそほう)から直接指導を受けるとともに、徳富蘆花(とくとみろか)や当時の著名な文化人達の感化を受け...
この建物(母屋)は、江戸時代、庄屋を務めるかたわら質屋・酒屋を営んだ堀内(赤木)家の住宅であるとともに、豊前街道を往来する細川・島津などの大名が休憩所として使用したお茶屋の跡であり、薩摩藩主島津斉彬(しまづなりあきら)と共に西郷隆盛(さいごうたかもり)も立...
徳富蘇峰(とくとみそほう)は熊本洋学校から同志社に学び、17歳の時に熊本に戻りました。明治15年(1882)19歳の時に大江義塾を開き、その後出版した「将来之日本」が出世作となり上京しました。 徳富蘆花(とくとみろか)は蘇峰と5歳違いの弟であり、名作「不如帰」「自然と...
【休館のお知らせ】 現在、熊本県伝統工芸館は改修工事のため休館しております。 工芸ショップ「匠」については、2024年10月1日より「カリーノ下通」(熊本市中央区安政町1-2)の1階にオープン予定です。 人々の暮らしと密接に結びつき、古くから使用されてきた熊本県の伝統...
2016年1月に「くまもと文学・歴史館」としてリニューアル。前身である熊本近代文学館がこれまでに収集してきた、小泉八雲や夏目漱石など熊本ゆかりの文学者の原稿や遺品などの近代文学資料に加え、熊本県立図書館が所蔵する江戸時代の熊本藩の検地帳や絵図、人吉藩主相良氏の...
小泉八雲(こいずみやぐも)や夏目漱石(なつめそうせき)が教鞭をとった旧制第五高等学校(現在の熊本大学)の前身である、第五高等中学校の校舎として明治22年(1889年)に完成した建物です。「ナンバースクール」と呼ばれていた旧制高等学校である第一高(現在の東京大学)...
熊本の総鎮守(そうちんじゅ)といわれ熊本市の代表的な神社の一つで、熊本市街地の北東、国道3号線沿いに大きな鳥居が建っています。そこから東へ広い参道が神社に向かって延びており、その先の大きな木々に囲まれた境内の中に、鮮やかな朱色の楼門があります。この藤崎八旛宮...
石光真清(いしみつまきよ)は明治から大正にかけて、激動の東アジアで対ロシアの情報収集に従事し、波乱に富む生涯を送った人物です。 自伝的手記は、没後遺族によってまとめられ「城下の人」など四部作*として出版されました。作品は近代日本と当時の東アジアの様子を伝える資...