海路交通が盛んな時代の海の玄関口であり、伝統工芸が盛んな川尻町(かわしりまち)にあります。川尻刃物、肥後象嵌(ひごぞうがん)などの伝統工芸品と共に、陶芸、革細工、ステンドグラスなどの現代工芸品を展示し、工芸品の魅力を伝えています。肥後象嵌や、陶芸、各種工芸...
白壁に黒い屋根の土蔵造りの建物の中に、暮らしに根ざした陶磁器や竹かごなどの実用品を展示。民衆の間で作られ、使われている民衆的工芸品(民芸品)の簡素で健康的な美しさを目にすることができます。熊本だけでなく、外国のものもあり、ガラス、木工品、染色品、玩具など、...
この建物(母屋)は、江戸時代、庄屋を務めるかたわら質屋・酒屋を営んだ堀内(赤木)家の住宅であるとともに、豊前街道を往来する細川・島津などの大名が休憩所として使用したお茶屋の跡であり、薩摩藩主島津斉彬(しまづなりあきら)と共に西郷隆盛(さいごうたかもり)も立...
小泉八雲(こいずみやぐも)や夏目漱石(なつめそうせき)が教鞭をとった旧制第五高等学校(現在の熊本大学)の前身である、第五高等中学校の校舎として明治22年(1889年)に完成した建物です。「ナンバースクール」と呼ばれていた旧制高等学校である第一高(現在の東京大学)...
明治24年(1891)11月、熊本大学の前身である第五高等中学校(明治27年(1894)第五高等学校と改称)の英語教師として島根の松江中学校から赴任し、明治27年10月までの3年間を熊本で暮らしました。 熊本に来て最初に住んだ家が当時手取本町34番地にあったこの家であり、この家...
幕末維新の開明思想家として知られる横井小楠(よこいしょうなん)の旧居。 内坪井(現在の熊本市中央区坪井)に生まれ、安政2年(1855)に沼山津に移り住んだ小楠は、家塾「四時軒」を開き、多くの門弟を養成しました。かの坂本龍馬(さかもとりょうま)や「五か条の御誓文」...
開創から約400年の歴史がある、加藤家代々の菩提寺で日蓮宗(にちれんしゅう)の名刹(めいさつ)です。天正13年(1585年)に、清正(きよまさ)が父の菩提寺として大阪に建立したものを、肥後入国後、熊本城内に移し、清正の逝去後、さらに現在の中尾山中腹に移建されました。...
この建物は、熊本洋学校に外国人教師ジェーンズを迎えるため明治4年(1871)に建てられた、熊本県内に現存する最古の洋風建築で熊本県の重要文化財に指定されています。 ジェーンズは明治4年から明治9年(1876)までの5年間ここで暮らし、熊本の若者達を教育し、熊本の近代...
徳富蘇峰(とくとみそほう)は熊本洋学校から同志社に学び、17歳の時に熊本に戻りました。明治15年(1882)19歳の時に大江義塾を開き、その後出版した「将来之日本」が出世作となり上京しました。 徳富蘆花(とくとみろか)は蘇峰と5歳違いの弟であり、名作「不如帰」「自然と...
※地震の復旧工事のため休館しておりましたが、令和5年(2023年)2月9日に公開を再開しました。 明治29年(1896)、第五高等学校(現在の熊本大学)の英語教師として来熊した夏目漱石(なつめそうせき)。 彼は4年3か月の熊本滞在期間中に6回も転居。そのうち、5番目に移り...
ハンナ・リデルは明治24年(1891)英国国教会の宣教師として来日し、2年後に熊本に来ました。ある時、咲き誇る桜並木の下にうずくまるハンセン病患者たちの悲惨さに心を打たれ救済にあたる覚悟をしました。 そのため、英国、日本の教会、政財界に寄付を募り、明治28年(1895)...
【休館のお知らせ】 現在、熊本県伝統工芸館は改修工事のため休館しております。 工芸ショップ「匠」については、2024年10月1日より「カリーノ下通」(熊本市中央区安政町1-2)の1階にオープン予定です。 人々の暮らしと密接に結びつき、古くから使用されてきた熊本県の伝統...