放牛石仏(100体目)
放牛は、江戸時代の初め頃(1670年代)、熊本の城下町(現在の新市街辺り)に鍛冶職の子として生まれました。
建立については諸説ありますが、少年時代、父が武士に無礼討ちにされたため、他に身寄りのなかった彼は、お寺に引き取られ僧になり、30年間の修行の後、非業の死を遂げた父の冥福を祈るため石仏建立の願を立て、享保7年(1722年)から17年までの間に118体余りの石仏を建てたと言われています。その他、飢饉等、当時の社会事情に関係する説もあります。
現在、これらの石仏は、「放牛石仏」あるいは俗に「放牛地蔵」と呼ばれています。熊本市内には、80体余が残っており、地元の方々等に大切に守られています。
往生院境内の右奥には放牛石仏(100体目)があり、放牛石仏の中で最も大きいものになります。
参考:熊本県内所在地図(『放牛さんとへふり地蔵―鎌研坂の放牛地蔵』から引用)
所在地 | 〒860-0082 熊本市西区池田1-2-50(往生院境内) |
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お問合せ | 往生院 電話番号: 096-353-4006 |
利用可能時間 | いつでも参拝可能 |
アクセス情報 | 産交バス「往生院前」下車、徒歩5分 |
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