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池泉式回遊庭園。寛永9年(1632年)、肥後細川初代藩主・細川忠利公(ほそかわただとしこう)が御茶屋を置いたのが始まりで、その後、三代目藩主綱利公(つなとしこう)のときに庭園が完成し、中国の詩人陶淵明(とうえんめい)の詩「帰去来辞(ききょらいのじ)」に因み、成趣...

明治29年(1896)、第五高等学校(現在の熊本大学)の英語教師として来熊した夏目漱石(なつめそうせき)。 彼は4年3か月の熊本滞在期間中に何度も引越しをしており、明治31年(1898年)7月から最も長い1年8か月を暮らしたのがこの家です。当時、新婚だった鏡子(きょうこ...

漱石は4年3か月の熊本生活の間、何度も引越しをしており、この旧居はもともと大江村(現在の新屋敷1丁目)にあったものを移築復元した家です。家主で漱石の五校の同僚であった落合東郭(おちあいとうかく:漢詩人、大正天皇の侍従を務める)が東京勤務の間借りていました。 ...

明治30年(1897年)、文豪夏目漱石(なつめそうせき)は、友人の山川信次郎(やまかわしんじろう)とともに熊本から現在の天水町(てんすいまち)へ旅をしました。その時に通ったのが、鳥越峠(とりごえとうげ)と野出峠(のいでとうげ)。当時この2つの峠には茶屋があり、有名...

夏目漱石(なつめそうせき)の「草枕(くさまくら)」のモデルとなった、熊本市島崎(しまさき)から玉名郡天水町(たまなぐんてんすいまち)につながる当時の幹線道路。ここは現在、「草枕ハイキングコース」として整備され、多くの人が散策に訪れています。「草枕」の冒頭に...

小泉八雲(こいずみやぐも)や夏目漱石(なつめそうせき)が教鞭をとった旧制第五高等学校(現在の熊本大学)の前身である、第五高等中学校の校舎として明治22年(1889年)に完成した建物です。「ナンバースクール」と呼ばれていた旧制高等学校である第一高(現在の東京大学)...

上熊本駅は、明治24年(1891年)に池田停車場という名前で設置されました。夏目漱石(なつめそうせき)が降り立った駅としても有名です。その後、明治34年(1901年)に上熊本駅と改称、大正2年(1913年)には、洋風木造の駅舎が建てられました。大正初期の駅舎の現存例として、...

2016年1月に「くまもと文学・歴史館」としてリニューアル。前身である熊本近代文学館がこれまでに収集してきた、小泉八雲や夏目漱石など熊本ゆかりの文学者の原稿や遺品などの近代文学資料に加え、熊本県立図書館が所蔵する江戸時代の熊本藩の検地帳や絵図、人吉藩主相良氏の...

NATSUME PERSEUM(夏目パージアム) /熊本市観光案内所併設
1896年(明治29年)、夏目漱石が第五高等学校の英語教師として赴任した際に、最初に暮らした家の跡地にオープンする夏目漱石ミュージアムです。「人柄から興味を持つ、日本一たのしい文学ミュージアム」をコンセプトに、文豪・夏目漱石の世界をより気軽に、愉しく、そして深く...

熊本市島崎(しまさき)から金峰山(きんぽうざん、きんぼうざん)を越え、玉名郡天水町小天(たまなぐんてんすいまちおあま)へ続く道は、古くから熊本と玉名を結ぶ幹線道路として人々に利用されていました。その道の途中にあるのがこの野出峠(のいでとうげ)と鳥越峠(とり...

有明海(ありあけかい)や雲仙岳(うんぜんだけ)を展望できる名所のひとつです。昭和37年に上皇上皇后両陛下が立ち寄られました。 漱石(そうせき)の「降りやんで 蜜柑まだらに 雪の舟」の句碑もあります。

熊本市島崎(しまさき)にある岳林寺は、天平宝字年間(757~764年)に創建されましたが、後に荒廃し、天正9年(1581年)に城親賢(じょうちかまさ)によって、曹洞宗(そうとうしゅう)の寺として再興されました。 明治30年(1897年)の大晦日、文豪・夏目漱石...
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