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※三つ御廟(ごびょう)は保存修理工事中、令和4年度(2022)に完成予定です。 熊本市にある花岡山(はなおかやま)の麓にある公園で、熊本藩主細川家の菩提寺妙解寺(みょうげじ)跡として、立田自然公園の泰勝寺(たいしょうじ)跡とともに国の史跡に指定されています。 妙...
昭和47年(1972)、九州縦貫自動車道開通に伴う発掘調査によりベールを脱いだ塚原古墳群は、県民上げての保存運動の結果残されました。保存方法は、遺跡の下をトンネルで通る、という全国で初めてのものです。現在、野球場が約5つも入る広々とした古墳群は、77基の復元された古...
金峰山(きんぽうざん、きんぼうざん)の北側にある「拝ヶ石」と呼ばれる巨石群。最も大きな石は約9mの高さがあり、巨石文明の遺跡ではないかという説もありましたが、その後の調査で、中世の宗教遺跡ではないかと考えらています。岩にペトログラフといわれる古代文字が刻まれ...
湧水に恵まれた山渓の美を鑑賞できる島崎は、江戸時代詩文を楽しむ藩士達の清遊の地でした。 肥後細川家五代、三代熊本藩主である綱利(つなとし)もこの地に「お茶屋」と呼ばれる別荘の一つを設けましたが、あるときお茶屋とその周辺の土地を杖で指し示して続弾右衛門(つづき...
熊本市北区の釜尾町(かまおまち)にあるこの古墳は、6世紀に作られた円墳です。現在は墳丘が削られていますが、本来は直径が30mを超える大きさでした。南側に開口する横穴式石室(よこあなしきせきしつ)が埋葬の場所で、玄室は赤と白の顔料で塗り分けられています。また、赤...
熊本市の西部、権現山(ごんげんさん)の中腹にある装飾古墳群。国の史跡に指定されている2基は、勝負谷の1号墳(甲号)と高城山の3号墳(乙号)です。1号墳の石室内には凝灰岩の板石6枚を使って石障(せきしょう)がめぐらされており、その内側に靫(ゆき)、同心円文、対角線...
自然の崖面に横に穴を掘って造る横穴式の墓地は共同墓地と考えられており、立田山(たつだやま)南麓には、古墳時代の終わり頃の横穴墓が集まっています。なかでも、このつつじケ丘横穴群は、前庭部分を共有する横穴のグループが15群確認されており、一つの前庭部を共有する...
現在熊本県で国指定の貝塚は2つで、いずれも熊本市南区城南町にあります。 御領貝塚は、縄文時代後期(今から約3000年前)の史跡です。総面積約4ヘクタールと推定される西日本最大級の貝塚で、おびただしい貝殻は見るものを圧倒します。ここから出土した土器は「御領式土器」と...
白鳳時代~奈良時代(約1200~1300年前)に建てられた熊本県最古の寺院跡です。規模は、160m四方にも及びその中に金堂や塔が立ち並んでいました。現在は、五重塔の心礎(柱を支えた基礎石)が残っています。 また、南へ500mほど離れた斜面には,瓦を焼いた窯跡を見ることができ...
横山は東西約1,200メートル、南北400メートル~600メートルの独立丘陵で、西端近くで南に延びる小山が接しています。この横山の南斜面のほぼ中央部に位置します。 直径約20メートル、高さ7メートルの円墳で、南に開口する横穴式複室墳である。玄室の奥壁から羨道端までの全長9...
塚原古墳公園の中にある資料館です。考古・歴史・民俗の3つの展示室があり、豊富な収蔵品を備えています。塚原古墳群の出土品をはじめ各所からの縄文・弥生時代の出土品や民俗資料などを約400点を展示しています。
瑞巌寺霊応山は「肥後國誌」によると、天台宗比叡山正覚寺の末寺といわれています。延宝改元の年(1673)、光朝(こうちょう)という僧が草創しましたが廃絶しました。これを、正徳元年(1711)大阿闍梨(あじゃり)法印廣朝が再興したと記されています。 現在は廃寺となってい...
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