※三つ御廟(ごびょう)は保存修理工事中、令和4年度(2022)に完成予定です。 熊本市にある花岡山(はなおかやま)の麓にある公園で、熊本藩主細川家の菩提寺妙解寺(みょうげじ)跡として、立田自然公園の泰勝寺(たいしょうじ)跡とともに国の史跡に指定されています。 妙...
八景水谷公園は、第5代肥後藩主細川綱利(ほそかわつなとし)公によって開かれた公園で、八景水谷水源(はけみやすいげん)があります。豊富な湧水量を誇り、大正13年(1924年)、熊本市の上水道が敷設されてからはその水源として利用されています。園内には4つの井戸があり、...
戦国時代の武将加藤清正(かとうきよまさ)を主神とする加藤神社。明治4年(1871年)、現在の熊本城本丸と宇土櫓(うとやぐら)の間に「錦山神社(にしきやまじんじゃ)」として建立され、その後、明治7年(1874年)熊本市京町へ、昭和37年(1962年)に現在の熊本市本丸に移り...
三賢堂は、熊本市出身の政治家安達謙蔵(あだちけんぞう)が熊本市民の精神修養の場として昭和11年(1936)に建立した円筒二重層の鉄筋コンクリートのお堂です。 釣耕園(ちょうこうえん)の庭園の奥にある円形の堂で、肥後の三賢人として、菊池武時(きくちたけとき)、加藤清...
金峰山(きんぽうざん)の北側にある「拝ヶ石」と呼ばれる巨石群。最も大きな石は約9mの高さがあり、巨石文明の遺跡ではないかという説もありましたが、その後の調査で、中世の宗教遺跡ではないかと考えらています。岩にペトログラフといわれる古代文字が刻まれていると話題に...
二天一流の剣豪・宮本武蔵(みやもとむさし)はその晩年を熊本で過ごし、熊本の千葉城(ちばじょう)にあった家で、62歳の生涯を閉じました。熊本時代は、肥後藩主細川忠利公(ほそかわただとしこう)の客分として招かれ、金峰山の霊巌洞(れいがんどう)という洞窟で「五輪書...
幹周りが13.3m、高さは29mにもおよぶ熊本県の指定天然記念物の大きなクスの木です。樹齢は約800年といわれています。戦国時代、菊池氏(きくちし)の重臣であり、現在の熊本城の南側に位置していたといわれる「隈本城」の城主となった鹿子木親員(かのこぎちかかず)のちの寂心...
日本三名城の一つに数えられる熊本城を築いた加藤清正(かとうきよまさ)は、現在も清正公(せいしょこ)さんとして熊本市民に親しまれ、熊本城のそばと廟のある本妙寺(ほんみょうじ)の2か所に像が建てられています。熊本城のそばの清正公像は甲冑(かっちゅう)と長烏帽子(...
熊本駅と熊本城の間に位置する『新町・古町』地区。加藤清正が熊本城の築城とともに造った城下町で、現在も往時の面影を色濃く残しています。 新町地区は、熊本城の正面にあたり、5つの城門に囲まれた城内町で、短冊形の町割の中には、御家中の武家屋敷と町人町とが混在す...
熊本市中心市街地・上通入口の複合ビル、びぷれす熊日会館3階にある美術館。多彩な企画展(有料)をおこなうメインのギャラリー以外はすべて無料。国際的に活躍する草間彌生(くさま・やよい)、宮島達男(みやじま・たつお)、ジェームズ・タレルなどによるアートワークが鑑賞...
開創から約400年の歴史がある、加藤家代々の菩提寺で日蓮宗(にちれんしゅう)の名刹(めいさつ)です。天正13年(1585年)に、清正(きよまさ)が父の菩提寺として大阪に建立したものを、肥後入国後、熊本城内に移し、清正の逝去後、さらに現在の中尾山中腹に移建されました。...
上熊本駅は、明治24年(1891年)に池田停車場という名前で設置されました。夏目漱石(なつめそうせき)が降り立った駅としても有名です。その後、明治34年(1901年)に上熊本駅と改称、大正2年(1913年)には、洋風木造の駅舎が建てられました。大正初期の駅舎の現存例として、...