熊本市の西方、金峰山(きんぽうざん)山麓にある洞窟、霊巌洞。うっそうと茂る樹木におおわれ、神秘的な霊場として知られる雲巌禅寺(うんがんぜんじ)の裏山にあり、洞窟内には岩戸観音(いわとかんのん)の名で知られる観音像が安置されています。晩年の5年間を熊本で過ごし...
池泉式回遊庭園。寛永9年(1632年)、肥後細川初代藩主・細川忠利公(ほそかわただとしこう)が御茶屋を置いたのが始まりで、その後、三代目藩主綱利公(つなとしこう)のときに庭園が完成し、中国の詩人陶淵明(とうえんめい)の詩「帰去来辞(ききょらいのじ)」に因み、成趣...
熊本市田原坂西南戦争資料館は、日本最後の内戦 西南戦争で17昼夜にわたる戦闘が繰り広げられた激戦地、田原坂にあります。 平成27年(2015)11月、「近代日本の夜明けを学び伝える歴史学習施設」を基本コンセプトに新装オープンしました。映像・音・振動・ジオラマで戦いの様...
明治24年(1891)11月、熊本大学の前身である第五高等中学校(明治27年(1894)第五高等学校と改称)の英語教師として島根の松江中学校から赴任し、明治27年10月までの3年間を熊本で暮らしました。 熊本に来て最初に住んだ家が当時手取本町34番地にあったこの家であり、この家...
※地震の復旧工事のため休館しておりましたが、令和5年(2023年)2月9日に公開を再開しました。 明治29年(1896)、第五高等学校(現在の熊本大学)の英語教師として来熊した夏目漱石(なつめそうせき)。 彼は4年3か月の熊本滞在期間中に6回も転居。そのうち、5番目に移り...
この建物は、熊本洋学校に外国人教師ジェーンズを迎えるため明治4年(1871)に建てられた、熊本県内に現存する最古の洋風建築で熊本県の重要文化財に指定されています。 ジェーンズは明治4年から明治9年(1876)までの5年間ここで暮らし、熊本の若者達を教育し、熊本の近代...
日本五大稲荷の一つに数えられ、全国的に商売の神様として知られています。毎年2月の初午(はつうま)の日に行われる初午大祭には、商売繁盛や五穀豊穣を願う大勢の参拝者が訪れます。数回に分けて行われる「福餅まき」では、高い石垣の上からまかれる紅白の福餅を拾おうと人々...
「日本で唯一味噌にご利益がある」といわれる神様をまつった神社で、約1300年前に建立されたものです。和銅6年(713年)に悪疫が流行した際、平癒を祈願して「御祖天神」を御祭神としてまつったのがはじまりとされています。その後、国分寺で大量に腐ってしまった味噌を美味し...
バーチャルで熊本の歴史を体感することができる「熊本城ミュージアム わくわく座」、「熊本ならでは」をコンセプトに県内各地の食やお土産品がそろう飲食物販施設「桜の小路」などを備えた観光交流施設。併設する総合観光案内所では、熊本市内をはじめ、県内の様々な観光情報...
熊本市では最も古い神社で、昔は「たけみや」と言い、のちに「けんぐん」と読まれるようになりました。阿蘇四社のひとつで、電車通りの大鳥居から神社まで続く、八丁馬場(はっちょうばば)と呼ばれる約1200mの長い参道には、加藤清正(かとうきよまさ)の頃植えられたと伝えら...
幕末維新の開明思想家として知られる横井小楠(よこいしょうなん)の旧居。 内坪井(現在の熊本市中央区坪井)に生まれ、安政2年(1855)に沼山津に移り住んだ小楠は、家塾「四時軒」を開き、多くの門弟を養成しました。かの坂本龍馬(さかもとりょうま)や「五か条の御誓文」...
※三つ御廟(ごびょう)は保存修理工事中、令和4年度(2022)に完成予定です。 熊本市にある花岡山(はなおかやま)の麓にある公園で、熊本藩主細川家の菩提寺妙解寺(みょうげじ)跡として、立田自然公園の泰勝寺(たいしょうじ)跡とともに国の史跡に指定されています。 妙...