

藤崎台球場(ふじさきだいきゅうじょう)の隣に建ち、神社の前には梅の木が植えられた公園があります。昭和14年に内務省令により熊本県護国神社と公称し、昭和32年に現在の社殿が完成。境内には戦没者のためのさまざまな慰霊碑が建ち、戦争歴史資料館があります。神風連の乱(...

寛永17年(1640年)、57歳の時に細川忠利(ほそかわただとし)公より客分として熊本に招かれた宮本武蔵(みやもとむさし)。正保2年(1645年)に62歳で生涯を閉じるまでの5年間を熊本で過ごしました。細川公に与えられた千葉城(ちばじょう)跡の屋敷で息を引き取った武蔵の葬...

熊本の「通潤橋(つうじゅんきょう)」や「霊台橋(れいたいきょう)」を造った明治の名石工(いしく)・橋本勘五郎(はしもとかんごろう)が、東京の「日本橋」や「江戸橋」、皇居の「二重橋」を架設したのち、帰郷して手がけた石橋のうちの一つ。明治8年(1875年)に架設され...
自然の崖面に横に穴を掘って造る横穴式の墓地は共同墓地と考えられており、立田山(たつだやま)南麓には、古墳時代の終わり頃の横穴墓が集まっています。なかでも、このつつじケ丘横穴群は、前庭部分を共有する横穴のグループが15群確認されており、一つの前庭部を共有する...

熊本大学の裏、立田山(たつだやま)の上り口にある小峯墓地は、立田山の遊歩道への通り道としても、多くの市民に親しまれています。この墓地の中でひっそりと立っているのがこの「鼻かけ地蔵」。鼻がかけていることからそう呼ばれています。旧制第五高等学校(現在の熊本大学...

石光真清(いしみつまきよ)は明治から大正にかけて、激動の東アジアで対ロシアの情報収集に従事し、波乱に富む生涯を送った人物です。 自伝的手記は、没後遺族によってまとめられ「城下の人」など四部作*として出版されました。作品は近代日本と当時の東アジアの様子を伝える資...

熊本市を流れる坪井川(つぼいがわ)にかかるアーチ型の石橋。東京「日本橋」や皇居の「二重橋」などを手がけた、熊本出身の明治の名石工・橋本勘五郎(はしもとかんごろう)の手によって造られたものです。明治10年(1877年)に架設されたので「明十橋(めいじゅうばし)」と...

※終了しました。 幅広いジャンルの音楽や大道芸等の多様なパフォーマーたちが、中心市街地のストリートという公共的なスペースで活動することを「STREET ART-PLEX KUMAMOTO」が支援し、アートパフォーマンスを街なかで展開することで、中心市街地の賑わいを創出するとともに、...

「花畑・桜町さくらまつり」は、例年3月下旬頃に花畑・桜町エリアで開催され、老若男女が楽しめるステージイベントや、熊本の物産展など、こたわりの商品の販売等を実施します。

JAZZ OPEN STREET ART-PLEX KUMAMOTO
幅広いジャンルの音楽や大道芸等の多様なパフォーマーたちが、中心市街地のストリートという公共的なスペースで活動することを「STREET ART-PLEX KUMAMOTO」が支援し、アートパフォーマンスを街なかで展開することで、中心市街地の賑わいを創出するとともに、こうした活動をベ...
