熊本の窯元を巡り、そのつくり手をご紹介する「熊本、うつわ便り」。今回は阿蘇市に窯を構える「阿蘇坊(あそぼう)窯」の山下太さんを訪ねました。どっしりとした力強い阿蘇の大自然を切り取ったかのような、荒々しさと神秘性が共存する造形の美。そこには山下さんの〝人智の及ばない何か〟への畏怖と崇拝の念が映し出されているかのようです。
イギリスで突きつけられた アイデンティティの不在
山下太さんが今から30年ほど前にイギリスにいた時のこと。ロンドンのマーケットで、タイのビーズで手作りしたアクセサリーを並べていると、現地の人からこう尋ねられました。
「あなたはタイの人なのですか」。
どうして自国の素材でものづくりをしないのか、日本人としてのアイデンティティはどこにあるのか。暗にそう問われたように感じたと、山下さんは当時を振り返ります。
福岡で生まれ育ち、高校卒業後は東京で美容師やバーテンダーとして働いていた山下さん。現代アートに興味があり、趣味でものづくりをしていたものの、熱中できる創作対象が見つからなかったといいます。そこで、23歳の時に世界を知るための旅へ出ます。東南アジアやヨーロッパを周遊する中、タイでビーズアクセサリー職人と親しくなったことから自身でもアンティークビーズを編むようになりました。
人生の転換期を迎えることになったのはイギリスの地。「日本人なのになぜタイのビーズを並べているのかと尋ねられた時に、僕は何も答えられなかった。日本人なのに日本のことを何もしらないというアイデンティティ不在の事実を突きつけられたわけです」。日本人として何をして、どう生きるべきなのか。自分自身と人生を見つめ直すきっかけを得て、山下さんは帰国。彫刻家の弟が暮らす富山から京都まで、歩いて旅を続けてみることにしました。
ある時、ヒッチハイクをすると、車に乗せてくれた女性が陶芸家だと判明。この出会いをきっかけに地元・福岡にある小石原焼の窯元を訪ねたところ、「自分でも作ってみたい!」との衝動に駆られます。未経験ながらも弟子入りを志願したところ幸いにも受け入れられ、4年間修行して焼きものの基本を学ぶことに。そして29歳で独立し、幼少時から家族旅行でなじみがあったとの理由で阿蘇で工房とギャラリーを開くに至りました。
人智を超えた世界で美を探る 人は一瞬の存在でしかない
山下さんの窯は自宅のすぐそばにあります。自宅の裏には外輪山がそびえ、少し車を走らせれば遺跡や巨石、巨木を間近にできる環境は、太古の世界を彷彿とさせるに難くない環境です。一日の始まりは、窯を囲むように点在する神社や祠を順に参り、祈りを捧げるところから。「ここで暮らしていると、人は一瞬の存在でしかないと思い知るんです」。阿蘇での生活を積み重ねるほどに自然への畏怖と崇拝の念は高まるばかりといいます。
創作にあたって、山下さんは土地から生まれ出づる色合いや質感を大切にしています。阿蘇は太古から繰り返されてきた噴火によって形づくられたダイナミックなフィールド。火山灰や溶岩、森林、草原…。カルデラの中で生きる人々の暮らしのすぐそばに、地球の内側から湧き出てくるものと、その外側で育まれるものが混在しています。
山下さんは阿蘇の大地を自らの足で踏みしめ、耳を澄ませて音を辿り、土や空気の匂いを嗅ぎ、人智を超えた世界から全身で〝素材〟の本質を探ります。そうして出合った土を掘って持ち帰り、草木を燃やして釉薬を作る。自分で調達した素材で焼き物を作っているのです。その姿はまるで、大地にかぶりついて噛み砕き、消化しようとしているかのよう。ともすれば自然に溶け込み、吸収され、一体となることで、新たな何かを生み出しているようにも見えます。
「僕の仕事は、阿蘇の素材の持つ力を最大限に引き出すこと。自然が生み出した造形美に、人の手と火という2つの要素を介入させているだけ」と山下さん。続けて「料理人が食材の持ち味を引き出す行為に少し似ているかもしれない」とも。同じ素材を用いても手のかけ方や火の温度ででき上がりが大きく左右される面白さも共通していると話します。
近年ではJETRO(日本貿易振興機構)を通じて因縁の地であるロンドンで作品を販売する機会を得るなど、活動の場を広げる山下さん。「日本各地の火山を渡り歩いて、その土地土地ならではの焼きものを楽しむのもいいかも」と今後の展望をのぞかせます。「日本は火山列島。想像もできないほどのエネルギーを秘めています。僕のアイデンティティの出発はこの島国にあるのです」。
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