1963(昭和38年)10月1日に営業開始した「熊本地方卸売市場」。田崎市場の名で知られる「熊本の台所」は、2023(令和5)年10月、開業60周年を迎えました。

東京ドーム約3.7個分の広大な敷地には、水産物、青果物の競り場のほか、卸売業者や仲卸業者、小売店、飲食店がひしめき合い、早朝から新鮮な魚や野菜が取り引きされている現場は、活気にあふれています。

今回は、夜明け前の田崎市場に潜入!市場が営業を始めた時代を振り返りながら、田崎市場の魅力に迫ります。私たち市民が参加できるイベントや、気になる市場ならではのグルメなども、シリーズでお伝えします。第1回目は、田崎市場の歴史と競りについてお届けします。

中央区新町から田崎町へ。開業60周年迎えた田崎市場

朝5時30分。夜もまだ明けやらぬ寝静まった街の一角に、威勢のいい掛け声が飛び交う場所があります。熊本市西区田崎町にある熊本地方卸売市場(以下、田崎市場)には、3時過ぎから漁業者が水揚げした新鮮な魚が並び始め、競り前の品定めをする業者の姿も見られます。

田崎市場が、この地で営業を始めたのは今から60年前。旧魚市場は熊本市中央区新町で、青果市場は現在地と異なる田崎町でそれぞれ営業していたそうです。1963(昭和38)年10月1日に、水産部門の初競りがこの地で行われ、翌年9月に青果部門が営業を開始しました。

昭和38年10月1日、田崎市場に移転した魚市場の開場。雨の中テープカットが行われた(写真提供:熊本地方卸売市場『50周年記念誌』より)
昭和38年10月1日、田崎市場に移転した魚市場の開場。雨の中テープカットが行われた(写真提供:熊本地方卸売市場『50周年記念誌』より)

田崎市場の一番の特徴と言えるのが、「民設民営」という運営方法。昭和38年に大海水産(初代豊増清社長)と熊本魚(現在の九州中央魚市、初代島本利三郎社長)の2社が資金を出し合い建設。翌年、熊本大同青果(初代錦戸金松社長)と西村青果(現在の熊青西九州青果、西村鶴夫社長)の2社が入場し、鮮魚2社、青果2社という現在の田崎市場の形が出来上がりました。

当時の農林水産大臣であった赤城宗徳氏の、「まさに日本一と称していい大市場である」との言葉も記録されており、当時国内の市場としては目を見張る規模だったと言えます。

しかし、形はできても、それに魂を入れるのには大きな苦労があったそう。「毎日宣伝カーを仕立てて、県内いたるところに出かけていきPRした。また場内では、演芸会を開いて人を集め、市民に市場を認識させることが3年間続いた」と、同市場50周年記録誌に記されています。

田崎市場の礎を築いた先人たちの苦労があってこそ、今の活気あふれる「田崎市場」があることを認識しなければなりません。

魚市場での初競りの様子(写真左)と、熊本大同青果の社屋が完成した市場一帯(写真提供:熊本地方卸売市場『50周年記念誌』より
魚市場での初競りの様子(写真左)と、熊本大同青果の社屋が完成した市場一帯(写真提供:熊本地方卸売市場『50周年記念誌』より

早朝、5時30分からスタートする“熱き”競り

雨の降りしきる中、開場のテープカットが行われた田崎町での営業開始から60年の月日を経て、現在田崎市場には4社の卸売業者、86社の仲卸業者、293社の売買参加者(小売業)、そして118社の買出人等が登録をしています。

今も当時と変らないのが、競りのスタイルです。水産物の競りが始まる5時30分には、競りを行う卸売業者に、競りに参加する登録済みの仲卸業者、小売業が数多く集まります。

5時30分からスタートする水産物の競り。瞬く間に、目の前の魚に値が付き、運ばれていきます
5時30分からスタートする水産物の競り。瞬く間に、目の前の魚に値が付き、運ばれていきます

水産物の競りが終わる6時30分からは、場所を変えて青果の競りが始まります。敷地面積175,345㎡(約53,000坪)、東京ドームの約3.7個分あるという広大な市場。駆け足で回っても息切れしそうな広さです。

「市場の役割は、水産物や青果など新鮮な食べ物を、各地から集めて、適正な価格で早く、食卓にお届けすること」と、熊本地方卸売市場の総務部長・國徳健二さん。毎日5時30分からの競りを見回りながら、安全に競りが行われるよう後方支援を行っています。

毎日のパトロールが欠かせないという熊本地方卸売市場の総務部長・國徳健二さん
毎日のパトロールが欠かせないという熊本地方卸売市場の総務部長・國徳健二さん

6時30分からスタートする青果物の競り場でも、冬の食卓に欠かせないネギや白菜、大根などが次から次へと競りにかけられていきます。競りには、競り台を使って行う「固定競り」と、競り人と買い手が並べられた青果物の周りに移動しながら行う「移動競り」があります。

仲卸業者と売買参加者は、「せり盆(ぼん)」という小さな黒板のような板に金額を書き、買取り額を卸売業者に伝えます。まばたきをする間もなく、高値を付けた業者の名札が貼られていきます。

昭和の雰囲気、人と人のふれあい残る田崎市場

「競り人は、一瞬で掲げられたいくつものせり盆の金額を見極め、最高値の業者を決定します。本当に神業ですよ」と國徳さん。令和の時代、オンライン化へ向かう市場がある中で、今もなお、昭和から受け継がれるやり取りが残る田崎市場の競りの風景は、競り落とす市場ならではの“熱さ”と、人と人のふれあいから生まれる“温かさ”が感じられます。

約1時間半で、大きな人の群れが民族移動のように競り場を移り、競り場にあったほとんどの生産物は、購入した仲卸業者と売買参加者から、青果店や鮮魚店、スーパーなどの小売店のほか、レストランなどの外食業者、加工業者へと運ばれ、私たちの食卓に届きます。

「固定競り」と「移動競り」。両方が残る田崎市場の競り
「固定競り」と「移動競り」。両方が残る田崎市場の競り

「田崎市場のように、競り売りを行う市場は国内でも少なってきているようです」と國徳さん。ここでは、水産物の約8割、青果物の約3割が競りで取引されています。残りの生産物は、卸売業者と仲卸業者、売買参加者が1対1で競りの前に価格や数量を決める相対(あいたい)取引が行われています。

令和4年度の水産物の取扱量は32,661トン、240億円。青果物は233,422トン、561億円に上ります
令和4年度の水産物の取扱量は32,661トン、240億円。青果物は233,422トン、561億円に上ります

「卸売業者の競り人は、全国の生産物の価格を把握して、毎日の競りを行います。常に国内全体の流通にアンテナを張り、学ぶという広い知見が必要な仕事です。今は若い世代の人が頑張っていますよ」と國徳さんは語ります。

私たちの食卓に届く新鮮な食べ物が、このような流通を経ていることにあらためて感謝の念が湧いてきます。

田崎市場Q&A

田崎市場については、まだまだ知らないことや疑問がたくさんあります。

そこで、國徳さんに、「田崎市場のアレコレ」を聞いてきました。


Q1.市場で競りに参加できるのはどのような人ですか?

A 競りに参加するためには、登録が必要です。登録が済んだ業者には帽子等が配られますので、それらを着用していないと競りには参加できません。


Q2.競りで売れ残った魚や野菜はどうなるの?

A 競りで売れ残ることがほとんどないのが、市場の良い所。その日のうちに、取引のある会社に販売したりするので在庫が残ることはほとんどありません。


Q3.競りで同じ金額を出したらどうなるの?

A 同じ金額を提示した場合は、じゃんけんで決めたり、半分ずつ購入したりするなど、その場で決められます。


Q4.競りで売られた魚を、一般の人が買うことができるの?

A 市場内にある仲卸業者で購入できる店があります。中には、店頭販売をしていない店舗もあるので、詳しくはHPで確認してください。

https://kumamoto-tasaki-ichiba.co.jp/shoplist/


Q5.市場は何時に開いて、何時に閉まるの?

A 競りが始まるのが5時30分から。一般の方が購入のために来場する場合は、店舗の営業時間はそれぞれ異なります。ホームページやお電話で確認してご来場ください。


Q6.田崎市場の楽しみ方は?

飲食店以外にも、花屋さんや漬物屋さん、包材屋さんなど、いろいろな店があります。昭和レトロ感漂う雰囲気を楽しみながら歩いてみると、思わぬ発見があるかもしれませんよ。



これまで田崎市場に、一度も行ったことがないという方はもちろん、市場の関係者しか入れないと思っていた方も、市場の歴史や仕組みを知ると、実際どんなところか見てみたいと思ったのではないでしょうか。市場内を自分の足で歩いてみると、「えっ、こんなところにこんな店が!」「こんなこともやっているの」といった驚きや新たな発見がきっと見つかるはずです。今回ご紹介した田崎市場で行われている競りは、事前に申し込みをすると見学ができます。詳しくは、シリーズ2回目で一般の方が参加できるイベント情報などと合わせてご紹介します。お楽しみに!


■熊本地方卸売市場(田崎市場)

住所:熊本市西区田崎町484(市場会館3F)

問合せ先:096-323-2001

※熊本地方卸売市場(田崎市場)について詳しくは、以下のページをご覧ください。

https://kumamoto-tasaki-ichiba.co.jp/


(構成・取材・文・撮影/大平誉子)

※写真の一部は、「田崎市場開場50周年記念誌」からお借りしています。

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