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不定期連載「熊本市電 電停ぶらり旅」。

どこから乗っても、どこで降りても、1回の乗車で180円。線路でつながってさえいれば、180円(小学生は90円)でどこへでも行ける便利な乗り物。それが熊本市民から愛されている、熊本市電です。※2023年6月に大人運賃が180円に改定されました

今回降り立った電停はB系統[4]の「杉塘」。

杉塘電停は、上熊本から3つ目の停留所。

元々、このあたり一帯は「杉塘」という名前で呼ばれており、それにちなんだ停留所名がつけられました。ちなみに杉塘は「杉が植えられている土手(塘)」という意味で、電停の西部を流れる井芹川に杉の木が植えられていたことに由来するそうです。

杉塘電停、知らない方も多いかもしれませんが、実は熊本城の三の丸広場や熊本博物館への徒歩でのアクセスがとっても便利な電停なんです(徒歩5分程度)。

ということで、今回は杉塘電停から熊本博物館までをのんびりお散歩してみましょう。

電停の周囲には、自動車の販売店や斎場が位置し、ここ数年でできた中高層マンションも目立ちます。(写真では目立ちませんが…)時間帯によっては車の交通量もとても多い通りなので、周囲に気を付けて電停から歩道に渡りましょう。

杉塘電停を東側(玉泉院側)に渡ると、すぐに小川沿いの小道が見つかります。この道をまっすぐ進むと、電信柱に掲げられた熊本博物館の案内看板を発見。矢印に沿って右に進みましょう。

ここまで来ると熊本城三の丸広場の木々が目の前に現れます。

熊本城というと、市内在住の方は北側の京町や東側の坪井川(市役所)方面、南側の古城町・熊本市こども文化会館方面からのアクセスをイメージする人が多いのではないでしょうか。私もその一人で、本妙寺側から見た西側の熊本城を見た記憶はほとんどありません(このB系統が走る電車通りは生活圏内で何度も通っていたのですが)。

なので、通りのすぐそばに三の丸広場や藤崎台の青々とした木々が広がっていたことに結構な驚きがありました。

三の丸広場を左手に見ながら、通りをそのまま進みます。

しばらく進むと、あっという間に三の丸広場の入口が現れました。ここから先が熊本城の敷地内。目の前の道は「砂薬師坂」という名前が付けられており、入口のそばには「児守地蔵尊」と掲げられたお地蔵様が鎮座しています。

石垣がしっとりと影を落とす砂薬師坂を熊本博物館に向かって進みます。途中、比較的最近設置された様子の遊具もありました。

ここで少し、三の丸広場周辺の歴史を振り返りたいと思います。

広場一帯、現在は三の丸地区と呼ばれていますが、熊本藩が置かれていた江戸時代の頃は「二の丸」と呼称されていたそうです。

宝暦年後半頃(1700年代後半)に描かれた絵図を見てみると、当時このあたりには熊本藩の家老であった長岡内膳家の屋敷をはじめとした武家屋敷が連なっていたことが分かります。(絵図は熊本博物館に展示されているのでぜひご覧ください)

明治3年(1870年)の廃藩置県後、熊本城には九州および中国西部地方を管轄する日本陸軍の部隊「鎮西鎮台(のちに熊本鎮台に改称)」が置かれ、熊本は軍都として大きく発展しました。三の丸地区にもさまざまな軍関連施設が設置されたようです。

熊本城は明治10年(1877年)に起こった西南戦争において、西郷隆盛率いる薩摩軍と新政府軍が衝突した場所としてよく知られていますが、ここ三の丸地区や藤崎台、段山一帯(熊本城の西側一帯)は特に激戦地であったようです。

段山一帯の激戦をものがたる石碑(与倉聯隊長戦跡の碑)が、藤崎台の南側にある薬師坂に設置されていますので足を運んでみてください(三の丸広場から徒歩5分ほど)。

与倉聯隊長戦跡の碑(薬師坂)
与倉聯隊長戦跡の碑(薬師坂)

西南戦争後、熊本鎮台は第6師団と改められ城内はさらに陸軍の施設が整備されていきますが、太平洋戦争が終わると次第に公有地として解放されていくことになります。

明治~昭和初期にかけ藤崎台一帯には陸軍病院が置かれていましたが、終戦を期に厚生省に移管され、国立熊本病院として運営がなされました(終戦翌年には熊本大学附属病院に譲渡)。その後、昭和35年(1960年)に開催された国体にあわせて病院施設は解体され、跡地に藤崎台県営野球場が建設されています。

少しと言いつつ、歴史語りが長くなってしまいました。時を現代に戻したいと思います。

砂薬師坂の石段を上ると、熊本博物館が見えてきました。

石段の上から電停方面を振り返った写真。ここまで距離はありませんが、石段が急なので少し息が上がります。11月に訪れたため落葉している木々も目立ちましたが、熊本城内はいつ来ても自然が豊かでなんとも清々しい気分になりますね。

旧細川刑部邸を左手に見ながら石垣の間を進むと、熊本博物館に到着。せっかくなので、博物館内も見学していきましょう。

平成30年(2018年)にリニューアルした熊本博物館。熊本地震前は天守閣内にあった国指定重要文化財「細川家舟屋形」をはじめ、熊本に関する多種多様な自然系・人文系資料が展示・保存されています。子ども向けのものから、大人も楽しめるものまで複数の番組を上映するプラネタリウムも人気です。

常設展示室の1階は熊本の歴史と文化をテーマに旧石器時代から現代に至るまでのさまざまな歴史資料を展示しています。

屋外には、昭和15年(1940年)から30年以上にわたり豊肥線を走っていた蒸気機関車69665号機も展示されています。紅葉する木々とのコントラストが見事で、写真映え◎です。

2階は熊本博物館が収集した多様な自然資料を展示しています。

江津湖の生態系を剥製などで再現したジオラマも。砂の色や粒の大きさなどにもこだわり、可能な限りリアルな表現を目指したそうです。

ひと際目を引くのが、肩までの高さが3.8mに及ぶコウガゾウの全身骨格。コウガゾウは、氷河時代の直前(約600万年前~300万年前)にアジア各地に生息していたとされる絶滅したゾウの仲間です。

熊本県内に生息するカモシカなどの希少な哺乳類の剥製や、魚・貝などの海の生き物、多様な昆虫標本を展示。いずれも展示方法がドラマチックで見応えがあります。

熊本博物館では年間を通してさまざまな企画展も行われていますので、そちらもぜひご覧ください。

 

■熊本博物館

住所:熊本市中央区古京町3-2

問い合わせ先:096-324-3500

開館時間:9:00~17:00(入場は16:30まで)

休み:月曜(祝日の場合は翌日休)、12月29日~1月3日

※入場料や企画展の情報はHPをご確認ください。

URL: https://kumamoto-city-museum.jp/

熊本城博物館を後にして、杉塘電停へ戻ります。とその前に、博物館周辺の見どころをもう一つ。博物館の京町側の入口には、大きなイチョウの木が植えられており、秋には見事な彩りを見せます。撮影時は葉が半分ほど散ってしまっていましたが、イチョウの絨毯がとてもきれいでした。多くの観光客が足を止める撮影スポットです。

帰路、三の丸広場から見えた金峰山。高台にあるため、とても眺めがいいです。

電停に到着したのはちょうどお昼時。適度に運動をしてお腹が空いてきたので、電停前にある町中華のお店「中華料理 美膳」でランチをいただきます。

中華料理 美膳は、2000年に黒髪にオープン。町中華として地元民に愛されてきましたが、熊本地震により店舗が損傷し2018年に現在の地に移転しました。以来、お昼時はサラリーマンに、夜は家族連れを中心に「お手頃な値段で美味しい中華を味わえるお店」として人気を集めています。

店内にはテーブル席、カウンター席、座敷席を備えています。

注文したのは、ランチメニューで一番人気の数量限定「日替わり定食」。炊き立てのご飯にスープ、小鉢、しっかりとしたボリュームの主菜が付いています。

この日の主菜は「鶏の豆板醤炒め」。カラッと揚げた鶏肉に、甘めのタレがよく絡んで美味。サクッとジューシーな鶏肉がゴロゴロ入っていて食べ応えのある一皿です(ご飯がよく進みます)。ショウガがほのかに効いた卵スープ、大根とニンジンの酢の物(小鉢)も絶妙でした。

中華料理 美膳は使用している食材にこだわりがあり、野菜はお店が所有する畑で栽培した無農薬のものを中心に使っているそうです。なかでも、辛味付けに用いられる胡椒(一味)は自家栽培した9種のトウガラシをブレンドしているとのこと!

店主の吉岡孝二さん(写真左)は中学卒業後、山口や北九州、熊本の料理店を渡り歩き修行を積んできた、中華一筋45年の料理人。息子の優孝さんと一緒にお店を切り盛りしています。柔らかな笑顔が素敵なお二人です。

年末年始は出来立てにこだわったオードブルも提供されているそうなので、気になる方はぜひお電話で問い合わせてみてください。

さて、お腹が満たされたところで、今回の電停ぶらり旅は終了。それでは、また次回お会いしましょう。

 

■中華料理 美膳

住所:熊本市中央区段山本町6-35

問い合わせ先:096-359-5657

営業時間:11:30~14:00、17:00~22:00(LO21:30)

休み:火曜


(文・写真:菅原 海人)

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