天守閣広場から見た現在のようす 撮影日2020年4月29日
天守閣広場から見た現在のようす 撮影日2020年4月29日


2020年4月29日に公開予定だった熊本城の特別見学通路。

現在、新型コロナウイルス感染拡大防止のため公開延期、いまだ立ち入ることが出来ません。

2016年4月に熊本県で最大震度7を二度も計測した観測史上例のない熊本地震により、天守閣だけでなく国指定の重要文化財であった宇都櫓などの重要文化財建造物に大きな被害があった熊本城。その復興への歩みを特別見学通路から見ることが出来ます。

その見どころを3回にわたってご紹介します。

「武者返し」の異名を持つ石垣

鉄壁の防御を誇った石垣と天守閣の現在
鉄壁の防御を誇った石垣と天守閣の現在

日本三名城のひとつとして名高い熊本城。その最大の特徴といえるのが、戦を想定したさまざまな防衛機能を備えていた点です。なかでも有名なのは、「武者返し」の異名を持つ石垣。

加藤清正公が近江から率いてきた特殊石工集団によって作られた石垣は、裾の方は傾斜がゆるやかですが、上に行くほど大きく反り返り、傾斜はほぼ垂直に近い絶壁となっています。

空に向かって弧を描くように反り返るシルエットは「扇の勾配」とも言われ、侵入してきた敵の武者でさえも登ることが出来ない石垣、これが「武者返し」と呼ばれる所以です。

奉行丸の石置き場

入り口から階段をあがって最初の見どころが、行幸坂の向かいに位置する奉行丸の石置き場です。

この場所には、地震で崩落した石垣の一部が保管されています。

50日を越える籠城戦を繰り広げた西南戦争、太平洋戦争下の熊本大空襲という大変な困難に見舞われながらも、熊本城の石垣はそのほとんどが、震災まで築城当時の姿で残っていました。

しかし、震災により崩落やゆがみなど、石垣全体の約3割に当たる約23,600㎡で修復が必要となったのです。

元通りに積み直すのが文化財保護の原則。特別史跡「熊本城跡」には、石垣の石も含まれるため、ひとつひとつの石を調査し、その後に積み直さなければなりません。その作業には、かなりの時間を要します。

通路から見える奉行丸の石置き場
通路から見える奉行丸の石置き場
2500個もの石垣の石が保管されている
2500個もの石垣の石が保管されている

数寄屋丸二階御広間

数寄屋丸二階御広間
数寄屋丸二階御広間

難攻不落の堅城としての勇ましい石垣が注目されがちですが、築城の名手と言われた清正公が手掛けた熊本城の魅力はそれだけに留まりません。

1989年(平成元年)に熊本市の市政100周年を記念して復元された「数寄屋丸二階御広間(すきやまるおんにかいひろま)」。

数寄屋丸の「数寄(すき)」の語源とは、和歌や茶の湯、生け花など風流を好むことであり、型にとらわれず、自らの趣向に合わせて自由に作る建築様式を「数寄屋造り」と呼びます。

そうした言葉から、かつて、この建物では能や茶会などが催され、熊本城の文化的遊興の場であったとされています。

内部1階は土間、2階には書院造りの座敷があり、全国の城郭建築の中でも珍しいつくりをしています。

修復を待つ現在の姿は、震災で石垣の一部が崩れ、たわんだ建物とひびの入った白壁が、今もなお当時の被災状況を物語っています。

地震後、遠くから眺めることしか出来なかった熊本城。

地上5〜7mの高さに完成した特別見学通路の完成で、これまでと違った新しい視点で熊本城のいまとこれからを間近に見守ることができます。

地上から5~7mの高さに建設された全長約350mの空中回廊
地上から5~7mの高さに建設された全長約350mの空中回廊
目線の低い人が見やすいように配慮されたスチール製の網とヒノキの床材
目線の低い人が見やすいように配慮されたスチール製の網とヒノキの床材

次回、熊本城復興のシンボルとして早期復旧を目指す大天守と小天守をご紹介します。

被災した痛ましい姿からかつての勇壮で美しい熊本城の姿を取り戻しつつある現在のようすをご覧ください。


最後に、熊本城の特別公開特設ページでは自宅にいながらこの景観を楽しむことが出来るスペシャルな動画も公開中。

おもてなし武将隊の案内で熊本城へ出かけた気分をご堪能あれ!

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