熊本の藩主は誰だかご存知ですか?1607年に加藤清正が当時の最先端技術を用いて築城したことはよく知られていますが、長く居住したのは、外様大名で熊本藩主となった細川家なのです。細川家は、現在まで18 代続いており、「水前寺成趣園」「泰勝寺」などをつくりました。その細川家に嫁いだのが、戦国一の美女と言われた明智光秀の娘・ガラシャ。ガラシャは悲しい運命に翻弄されながらも、自分の意志を持ち、力強く生きた女性で、その生き方は、今も語り継がれています。水前寺成趣園にある出水神社には、ガラシャがデザインされた御朱印帳が登場し、人気となっています。ガラシャとはいったいどんな人なのでしょうか?細川家ゆかりの地を訪ね、ガラシャの面影を感じてみませんか。

歴代藩主とガラシャが祀られている出水神社は1878年に創建された。
歴代藩主とガラシャが祀られている出水神社は1878年に創建された。

■戦国の世に翻弄された細川ガラシャの人生

足利将軍家、織田信長、豊臣秀吉、徳川家などに仕えた細川家。熊本藩の初代藩主は細川家三代目の細川忠利です。父は細川家二代目の忠興(三斎)です。忠興は、剛直・颯爽とした戦い方が特徴で、初陣で織田信長に感謝の書状をもらうほど絶大な信頼を得ていたといわれています。美意識が高く、武具のデザインも行なっていたそうです。

1578年、16歳で忠興に嫁いだのが、明智光秀の娘・明智玉(玉子の説もある)、のちの細川ガラシャです。越前国(現・福井県)で幼少時代を過ごし、「楊貴妃桜のように美しい」といわれていました。忠興は、「戦国一の愛妻家」と称されるほどガラシャのことを愛し、二人の間には、のちの熊本藩初代藩主・忠利など数人の子どもが生まれました。

1582年、ガラシャの父・明智光秀が謀反を起こした「本能寺の変」で人生が一変。 戦国時代、謀反人の娘は生きていくことはできない状況です。しかし、「戦国一の愛妻家」である忠興は、ガラシャを誰にも渡すまいと京都・味土野(みどの)に幽閉し、かくまったのです。明智一族の滅亡と不慣れな地の生活ですっかり落ち込んでしまったガラシャの心を救ったのは、侍女が教えてくれたキリスト教でした。

水前寺成趣園:忠利が「水前寺」という寺院を建てたことから由来し、細川家の茶屋として利用されていた庭園。 桃山式の回遊式庭園は、細川家5代目・綱利の時に完成したもの。
水前寺成趣園:忠利が「水前寺」という寺院を建てたことから由来し、細川家の茶屋として利用されていた庭園。 桃山式の回遊式庭園は、細川家5代目・綱利の時に完成したもの。

  

  逢うと見て かさぬる袖の移り香の 残らぬにこそ 夢と知りぬる

「忠興さんの夢を見ました。現実と思いたかったけど、袖に忠興さんの残り香もないから、やはり夢だったのですね。」父・明智光秀が織田信長に謀反を起こし、2年近く味土野に幽閉されたガラシャが、その寂しさから、夫・忠興が夢に出てきた時に詠んだ和歌です。忠興もまたガラシャを想い、一説では味土野まで会いに行っていたといわれています。

 2年の幽閉後に屋敷に戻りましたが、豊臣秀吉がバテレン追放令を出したため、あわてて洗礼を受け「ガラシャ(伽羅奢)」の名前をもらいます。忠興は改宗を迫りますが、ガラシャは従いませんでした。

1600年、豊臣秀吉の死後に実権を握るようになった徳川家康の命令で、忠興が上杉討伐に出た時をねらい、石田三成軍がガラシャのいる屋敷に攻めてきました。ガラシャを人質にし家康の動きを緩めようという作戦です。ガラシャは一切応じませんでした。キリスト教は自殺が許されないことから、ガラシャは家臣に胸を突かせて亡くなりました。

  

  散りぬべき 時知りてこそ世の中の 花も花なれ 人も人なれ

「花は散る時を知っているからこそ美しい。人もそうありたいものです。」ガラシャが最期に詠んだ句は、彼女の生き様そのものです。

大正時代に復元された茶室迎松軒などがある自然公園。忠興・ガラシャ夫妻のお墓がある。
大正時代に復元された茶室迎松軒などがある自然公園。忠興・ガラシャ夫妻のお墓がある。

■初登場!熊本産の素材を使った「ガラシャスイーツ」!?

豪華な和風パフェは、使われている甘味・果物が10種類以上!濃厚な抹茶ケーキ優しい甘さの黒蜜寒天、モチっと感がたまらない白玉、熊本産きな粉の本わらび餅など食感も様々。しかも季節ごとに変わる甘味懐石やあんみつも、産地にこだわった素材を使い、添加物を加えずに仕上げている熊本産スイーツです!

あまみや:熊本市中央区上通町4-16タバラビル2階
あまみや:熊本市中央区上通町4-16タバラビル2階

■辛子蓮根は病弱だった忠利のために考案されたもの

熊本を代表する郷土料理辛子蓮根。味噌と辛子を混ぜた辛子味噌を蓮根の穴に詰めて、黄色の衣をつけて油であげたものです。お店ごとに少し味が違ったり、切り方が違ったりとそれぞれ特色があり、地元熊本人にも人気です。

実はこの辛子蓮根、病弱だった細川忠利のために作り出されたものです。増血効能がある蓮根を出したところ、「泥の中で育った不浄なもの」と食べようとしない忠利。そこで、味噌と辛子を混ぜ合わせたものを蓮根の穴に詰めて油で揚げたところ忠利の食欲が増進した・・・という話があります。

辛子蓮根
辛子蓮根

■肥後細川藩のもてなし料理「本丸御膳」でお殿様気分に!

1949年(昭和24年)創業の「郷土料理 青柳」。ここには貴重な「料理方秘※」や、近世熊本の食文化を伝える「歳時記」から江戸時代の献立を再現した「本丸御膳」が提供されています。細川家の九曜紋が施された美しい器で当時の食文化を体感することができます。

※細川家のご料理頭(料理長)・村中乙右衛門が残した、今でいう「レシピ本」のようなもの。熊本城築城400年を機に藩主が食べていた料理が再現され、提供されています。

熊本城 本丸御膳
熊本城 本丸御膳

細川家ゆかりの場所を訪ね、波乱の戦国時代に自分を貫いた女性、細川ガラシャに想いを馳せる一味違う旅を楽しむのもいいですね。

■ガラシャがデザインされた御朱印帳が出水神社に登場!

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