熊本城は、加藤清正(かとうきよまさ)によって築城され、慶長12年(1607年)に完成した天下の名城。城域は98ha、周囲5.3kmにも及びます。当時は大小天守閣はじめ、櫓(やぐら)49、櫓門18、その他の城門29を数え、実戦を想定した巨大要塞でした。

加藤家2代、細川家11代の居城として続きましたが、明治10年の西南戦争では、薩摩の大軍を迎えて50余日の籠城に耐え、難攻不落の名城の真価を発揮しました。しかし、薩軍総攻撃の3日前、原因不明の出火により、宇土櫓(うとやぐら)をはじめ11棟を残し主要な建物を焼失しました。現在の天守閣は昭和35年に市民の浄財を基に再建されたものです。

天守閣広場から見た大天守 2020年4月29日撮影
天守閣広場から見た大天守 2020年4月29日撮影

2020年4月29日に公開予定だった熊本城の特別見学通路。その見どころを紹介する特集2回目は、「大天守と小天守」を紹介します。

「大天守」と「小天守」を間近で!

通路から見た大天守 2020年4月29日撮影
通路から見た大天守 2020年4月29日撮影

熊本城は、熊本県民の誇りです。その雄大な姿に勇気づけられる人も多く存在します。2016年4月に起きた熊本地震で、大天守は最上階の瓦がほとんど落ち、小天守は穴蔵内の石垣が大きく崩落。損傷した熊本城の姿を見た時、熊本県民は大きな喪失感に苛まれました。

20年かかると想定された熊本城の復旧工事。最優先で手をつけたのが熊本城の中心に位置する天守閣でした。特に被害が大きかった大天守最上階部分は一旦解体して再構築作業、小天守は石垣の積み直しと最上階部分の解体再建工事を進めました。

2019年4月には鯱瓦が設置され、同年10月には大天守の外観がほぼ復旧し、特別公開第一弾を行いました。そして、今年春には特別見学通路が完成しましたが...新型コロナウイルスの影響で公開を中止せざるを得ませんでした。

ヒノキの板を床に使った通路
ヒノキの板を床に使った通路

この特別見学通路は、熊本城の復旧工事や被害の状況を安全に見学できるようにつくられたものです。地上からの高さは5m〜7m、熊本県産のヒノキ材を使った通路が、行幸坂をのぼった備前堀の北側から天守閣前広場まで約350メートル続いています。復旧期間中だけしか見られない光景もあり、これまでとは違った熊本城を見ることができます。

■特別通路一番のみどころは、並べて見られる「二様の石垣」と「天守閣」

大天守と二様の石垣 2020年4月29日撮影
大天守と二様の石垣 2020年4月29日撮影

特別見学通路のみどころは、ここ!

「二様の石垣」と猛々しい「大天守」を並べて見ることができます。この高さだからこそ見られる光景で、復旧期間中だけの「特典」ともいえます。この「二様の石垣」、二つの時代の石垣が重なり、特徴を比べることで石積みの技術革新がわかるという人気観光スポットです。右側が「加藤清正の初期頃」、左側が「細川忠利の頃」の石垣だとされてきましたが、最近の研究では「加藤忠広の時代」のものではないかといわれている注目の石垣です。

左:大天守 右:小天守 2020年4月29日撮影
左:大天守 右:小天守 2020年4月29日撮影

そして、特別見学通路の最終地点は、天守閣前広場。大天守と小天守を正面から見ることができます。

二層の屋根と地上4階地下1階の構造を持つ小天守、は、三層の屋根を持ち、内部は地上6階地下1階の大天守。石垣をつくる技術などから、小天守が大天守よりも後に建てられたことがわかるそうです。

通町筋から見た熊本城 2020年5月4日撮影
通町筋から見た熊本城 2020年5月4日撮影

熊本城は、傷ついてもなお立ち上がり、一歩一歩前を進んでいます。

誰も予想していなかった、世の中を取り巻く苦しい今の状況・・・熊本の街を見下ろす熊本城が「一緒に頑張ろう」とメッセージを送っているような気がしてなりません。


「空中回廊から 熊本城のいま」次回は本丸御殿のようすをご紹介します。

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