いま、私たちが立っている土地は、原始時代からはじまり、古代、中世、近世、近代と、時代ごとに生き抜いてきた人たちが踏み固めてできたもの。そしてその土地の上に建っている建築物は、そこで生きてきた人の暮らしを記憶しているもの。
「熊本の建築からはじまる、熊本の歴史語り」は、熊本市内に保存、管理、運営されている記念館を訪ね、そこに縁のある偉人たちがその時代に残した足跡や、建築に刻まれた記憶の一部を不定期連載でご紹介。第三回目となる今回は、内坪井に残る夏目漱石の旧居をめぐります。
教師・俳人としての 夏目漱石を「体験」
『吾輩は猫である』『坊ちゃん』など今なお愛される数多くの名作を生み出した小説家・俳人の夏目漱石。小説家として活躍する以前は、英語科の教師として熊本の第五高等学校(現・熊本大学)に勤めていたことはよく知られていますが、その際暮らしていた住居が熊本に現存していることをご存じでしょうか。今回は、漱石が暮らした当時の面影が色濃く残る、中央区内坪井の旧居をご紹介します。
1867(慶応3)年に江戸の牛込馬場下横町(現:東京都新宿区喜久井町)で生を受け、その後帝国大学(現:東京大学)文科大学英文科で学んだ漱石は、卒業後、1895(明治28)年に愛媛県松山、そして翌年1896(明治29)年に熊本に教師として赴任しました。およそ4年間熊本で暮らした後に、英国ロンドン留学を経て、東京に帰郷。明治大学の講師を勤めながら小説家としての活動をスタートしました。このように、各地を転々とした漱石ですが、その生涯のなかでなんと30回以上も引っ越しを行っています。
漱石の旧住居で、現存しているのは全国で4軒。そのなかで移築をせずに、当時と同じ場所に残っているのはわずか2軒のみで、その内現在一般公開されているものは、ここ内坪井旧居のみ。熊本滞在中だけで6回引っ越しを行った漱石ですが、5番目の住居となる内坪井旧居のことが気に入っていたようで、最長となる約1年8カ月を過ごしました。内坪井旧居で暮らしていたときに漱石と鏡子夫人の間に長女が生まれたことから、「漱石が父になった場所」としても知られています。
内坪井旧居は、上熊本駅から藤崎宮を結ぶ「わが輩通り」から少し内に入った閑静な住宅地に位置しています。(ちなみに、わが輩通りは漱石の『吾輩は猫である』から名付けられています)
石柱の門からのぞく鬱蒼とした庭園の木々を目印に、内坪井旧居を訪れたのは、梅雨時期の6月下旬のこと。門を越えると、鮮やかな木々の緑のなかに重厚な瓦屋根で覆われた立派な日本家屋が現れました。
内坪井旧居は漱石が住んでいた当時からある母屋を中心とした部屋と、大正時代に後の住人によって増改築された部分に分けられ、合計で大小9部屋を数えます。建物の面積も広く、およそ270㎡におよびます。熊本地震により被災したことでしばらく一般公開が中止されていましたが、復旧工事が完了し、今年の2月に再び公開となりました。
玄関から進んだ正面には漱石直筆の原稿用紙が展示してあります。これは漱石唯一の自伝的小説として知られる『道草』の原稿の一部(複製)。(意外にも)丸みを帯びた味わい深い漱石の筆跡を見て取ることができます。今回は複製でしたが、タイミング次第では本物を展示していることもあるそうです。
そこから廊下を伝って奥へと進みます。明治・大正期から残る柱やガラス戸はその長い歴史を感じさせ、中庭から射す柔らかな陽光が作り出す陰影はなんともノスタルジックです。
内坪井旧居の一番の見どころは、家屋中央に位置する二つの床の間です。一つは、漱石が詠んだ俳句が飾られ、中央のテーブルに漱石関連の資料が数点並びます。もう一つは、漱石が実際に書斎にしていたと思われる部屋で、縁側に面して文机が置かれ、部屋隅の書棚に漱石の小説が並べられています。展示物は少なく、とてもシンプルな印象を受けます。
実は、以前はもっと多くの展示物が置かれていたそうですが、「漱石がいたそのままの空間を楽しんでほしい」「漱石と同じ気持ちを体験してほしい」という思いから、今年の一般公開に合わせ展示物が一新されました。現在は極力物を減らした空間づくりがなされています。
おすすめの楽しみ方は、書斎の文机に腰をおろし、ただぼーっと縁側の先に広がる庭を眺めること。小鳥のさえずりを聞き、家屋を抜けるそよ風を感じて、日常の喧騒から離れるひと時を味わう……。そんな癒しを求めて、1時間ほどここに滞在する来場者もいるのだとか。
縁側の先にある庭園も見学することができます。園内には漱石の長女・筆子が生まれた際に産湯として使われた井戸が残っており、当時漱石が詠んだ俳句を記した歌碑も展示されています。
旧居を訪れたときはあいにく見ることができませんでしたが、季節によりツツジやクチナシの花が咲き、庭園を彩るそうです。
「小説家ではない漱石」に出会う
夏目漱石といえば、小説家としての側面がよく知られていますが、ここ内坪井旧居では「俳人」「教師」としての漱石にフォーカスした展示がなされています。
熊本を題材とした漱石の小説に玉名市小天温泉を舞台にした『草枕』などがありますが、前述の通り漱石が小説を書き始めたのは、英国留学後に東京に戻ってから。『草枕』も1906(明治39)年、東京にて発表されたものです。
熊本滞在中の漱石の創作活動はもっぱら俳句で、熊本にいた4年の間に1000を数える多くの作品が詠まれました(漱石が生涯で詠んだ俳句の、実に1/3を数えます)。それらの多くは漱石が見て・感じた風景を書き表した「叙景句」。この俳句を辿ると、漱石の軌跡を知ることができるともいわれています。
内坪井旧居の一室には、そうした漱石の俳句活動の歩みをまとめたパネルも展示されています。熊本市内で漱石が詠んだ俳句および、俳句を記した石碑の位置をまとめた資料もあり、表現者としての基礎を形作った俳句活動の一端を学ぶことができます。
加えて、別室には第五高等学校における同僚の先生や教え子との交流をまとめたパネル展示も。昼寝をする漱石の写真や、鏡子夫人の着物を羽織ってふざけていたというお茶目なエピソードも紹介されており、魅力ある私人・漱石に出会うことができます。
貴重な展示資料としては、漱石が描かれた旧千円札が1984(昭和59)年に発行された際に、日本銀行総裁から寄贈された贈呈状付きの旧千円札があります。札のナンバーには「A000004A」と記されており、この4という数字がこの紙幣が「4番目に印刷されたもの」であることを表しています。マニア垂涎の展示です。
漱石が内坪井旧居を退去したのち、1915(大正4)年に増築された洋室部分も見どころです。ワインレッドの絨毯が敷かれたアールデコ調の洋室は、天井高4.37mにもなる開放的な空間が特徴。こちらには、一般公開の再開を記念して贈呈された、熊本出身の画家・松永健志さんが描いた漱石の肖像画が飾られています。
今回、訪れることはできませんでしたが、水前寺公園にある「夏目漱石大江旧居」も一般公開されており、内部を見学することができます。
こちらは熊本滞在中に漱石が暮らした3つ目の家。もともとは大江村(現在の中央区新屋敷1丁目)にあったものを移築復元したものです。この大江旧居から漱石は『草枕』の題材となった小天温泉へと旅行に出かけたといわれています。
くまもと文学・歴史館が近くにあることから、今後小説家としての漱石にフォーカスした展示がなされる予定とのこと。ぜひこちらも足を運んでみてください。
■夏目漱石内坪井旧居
住所:熊本市中央区内坪井町4-22
問合せ先:096-325-9127
利用料金:無料
利用時間: 9:30〜16:30
休み:月曜(祝日の場合は翌日)、12月29日~1月3日
夏目漱石内坪井旧居の情報については、こちらからご覧ください。
https://kumamoto-guide.jp/spots/detail/79
■夏目漱石大江旧居
住所:熊本市中央区水前寺公園21-16
問合せ先:096-385-2266
利用料金:無料
利用時間: 9:30〜16:30
休み:月曜(祝日の場合は翌日)、12月29日~1月3日
夏目漱石大江旧居の情報については、こちらからご覧ください。
https://kumamoto-guide.jp/spots/detail/271
(文・写真:菅原 海人)
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