数々の偉人を輩出しているくまもと。近代化をめざす明治以降では、特に思想家・横井小楠、そして文豪・夏目漱石の存在は見逃せません。ロマンと情熱に満ちた幕末から大正時代のくまもと。漱石、小楠の両先生はもちろん、彼らの教え子たちの活躍も交え、近代くまもとのGEN.(原点)に触れられるスポットへ。
画/松永健志
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明治29(1896)年から4年3か月、熊本で暮らしていた夏目漱石。その間に6回も転居する中、当時の場所に残って一般公開されている旧居は、全国でもここだけ。こちらの家で長女が生まれ、また、一室で人々に俳句も教えたとか。文豪・漱石になる前の英語教師・夏目金之助先生の暮らしぶりを垣間見ましょう。
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明治29(1896)年4月13日、池田停車場に現れた英語教師・夏目金之助。池田停車場はその後、上熊本駅と改名し、大正初期には洋風の木造駅舎の姿。その駅舎は現在、JR駅に隣接する熊本市電・上熊本駅として利用されています。通りを挟んだ駅前には、駅に颯爽と降り立つ姿を彷彿させる夏目先生の銅像も。
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2日目は幕末から明治の激動期はもちろん、その教えが近代くまもとの礎にもなった思想家・横井小楠ゆかりの地へ。まずは熊本城下の「高橋公園」にある「維新群像」にご挨拶。小楠先生のバックには先生の話を聞こうと前のめりになる熊本藩最後の藩主・細川護久、さらに松平春嶽や勝海舟、坂本龍馬の姿も見え、小楠先生の偉大さも伺えます。
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文化6(1809)年、熊本城下に生まれた横井小楠。その博識と広い視野で幕末維新に多大なる影響を与えたが、明治2(1869)年、凶刃に倒れる。記念館ではその生涯の紹介と共にゆかりの品々を展示。隣接の家塾「四時軒」では志士らが訪れた座敷のほか、お酒の失敗をはじめ、やんちゃな側面もあった小楠先生エピソードの紹介も。
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大正元(1912)年に建てられた、豪商水野家の旧邸を利用した和食処。大正ロマンあふれる佇まいの中、樹齢100年以上、縁結びの木とも呼ばれる木斛(もっこく)の大木も中庭に鎮座。そんな癒しと大人の空間と共に、箱膳スタイルで登場する姫御膳2750円をはじめ、阿蘇西原のとれたて野菜や旬の天草魚介を活かした品々を。
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横井小楠の甥も設立に寄与した熊本洋学校。その教師としてアメリカから招いたジェーンズ氏の住居だったのがジェーンズ邸です。博愛社(現日本赤十字社)発祥の場所でもあります。熊本地震で全壊しましたが、柱や染など建材の約7割を再利用し、約150年前の写真をもとに柱や壁なども塗装。そして2023年、見事に復日。その姿は、まるでジェーンズ先生を迎えた新築当時!
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横井小楠の門下生であった父・徳富一敬の薫陶を受け、兄・蘇峰(そほう)は国民新聞を主宰するジャーナリスト、弟・蘆花(ろか)はベストセラー小説「不如帰(ホトトギス)」を著した文筆家に。共にペンをもって立身した徳富兄弟の生涯を紹介する資料館の隣には、ふたりが少年期を過ごし、蘇峰が私塾として利用した徳冨旧邸も。