熊本地震からの復興途上にある中、新型コロナウイルスの感染拡大、県南部を中心とした豪雨災害と、ここ数年、熊本県には試練とも呼ぶべき出来事が続いています。

しかし、そんな熊本を応援しようと、各業界で活躍する県内出身の方々の間で、支援の輪が広がっています。そのひとつが、熊本地震の復興支援を目的に2017年に始まった「くまもと復興映画祭」。熊本地震から5年の節目を迎える今年は、4月16日~18日に熊本城ホールを会場に開催されます。

今回は、昨年10月に開催されたくまもと復興映画祭2020の際に熊本を訪れていた、熊本出身の行定勲監督と俳優・高良健吾さんに、映画祭を通じて見てきた熊本の変化、故郷である熊本との関わり、おすすめの熊本の過ごし方などをお聞きしました。

くまもと復興映画祭から感じる熊本の変化

―熊本地震、新型コロナウイルス、そして豪雨災害の中迎えた4回目の復興映画祭。何か感じる変化はありますか?

(行定)「復興」という名前がついた映画祭は全世界でここだけです。熊本地震から始まった「復興」は新型コロナウイルスでも、豪雨災害でもあてはまりますね。熊本県人吉地方など、「日常を取り戻せない人たちがいるということを伝える」・・・今年のくまもと復興映画祭がやるべきことだと、「絶対に開催する」という思いで動いてきました。

2016年熊本地震の失意の底から、「負けずにこの熊本という土地で生きていこう」としている人たちの姿に勇気づけられます。熊本の街も完全に復興しているとは言えないけど、すごく元気を取り戻しているのは明らか。映画祭に来ている方たちが、この映画祭を楽しみに、年を経るごとに「自分たちが這い上がって、日々を築いている」ということを実感されている姿を見て、僕らも元気を受けています。

(高良)くまもと復興映画祭に携われて本当にありがたく、感謝しています。今年は日本だけでなく、世界的に新型コロナウイルスの影響を受け、様々なイベントが自粛になった中、こうやって開催できることだけでも変化だと捉えています。観客の皆さんが、映画祭の楽しみ方を見つけている、年々それが色濃くなってきている印象です。

行定監督は「ロックな感じ」、高良さんは「勝手に悩む俳優」

―このくまもと映画祭で、行定監督と高良さんの姿を見られるのがとても楽しみなのですが、お互いの印象はどのようなものですか?

(行定)今年、リモートの作品「きょうのできごと a day in the home」を制作したのですが、高良くんに真っ先にメールしたら「なんかやりたいっすよね、なんかやりたいと思っていました。」という言葉を受けたので、彼をはじめ若手の俳優たちの想いがあるのであれば一緒にやれそうだと思いました。

その思いが伝わってくる俳優でもあり、頼りやすく、信頼しています。やりやすいですね。勝手に悩むし、悪戦苦闘するから。僕が想像しないところで悩んでくれるところが、役を深くするし、輪郭を濃くしていく俳優の力です。俳優が作り出した演技を僕が撮って、その成果が自分たちの満足度につながる、「観客に見せられる」映画になります。そういう意味で、高良くんはやりやすくて、やりがいがあると思っています。

(高良)映画を制作した時、監督は、たいてい俳優の手柄にしてくれますが、行定さんは、俳優以外でも僕の手柄にしてくれます。行定さんに、監督としてなんて畏れ多くて何も言えないのですが、もし一言で言わせてもらうならば、パンクというかロックな感じがします(笑)。作品も、お話ししてもすごいと思います。

それに、「熊本嫌い」って、あれだけ言う人は行定さんしかいない・・・だけど、熊本のために一番何かをやっているという方です(笑)。

熊本「大好き」高良さん、熊本「嫌い」行定監督

(行定)高良くんは、熊本大好きだよね。

(高良)はい!僕、熊本大好き!

(行定)だからいいんですよ。俺は、そんなに熊本が好きじゃない。嫌いなところばっかり目につくし。でも、その揚げ足をとっているところが、人から見ると「好き」という行為に見えているみたいで、だったらいいかと「熊本嫌い」って言ってます(笑)。

―熊本が嫌いですか?例えばどんなところが嫌いですか?

(行定)なんだろうなあ。自己主張が強い。「おれがやった」とかね。「おれがおらんかったらこれは成功しない」てことを、それ言わなきゃいいのに言わずにいられないでしょ(笑)?

でも、それが嫌いじゃないし、正直だなというか。「おれが目立ちたい」ということや、「あいつが悪い、おれはいい」というのが露呈しちゃってるわけですよね。そういう風に言えるってすごいと思っています。

熊本はそんな一面もありながら、熊本は情緒がいい。俯瞰で見ると不思議と「おおらか」だったり、「時間の流れが豊か」に感じたりできる。そこがミスマッチですよね、その感情が「深い」。そういうところが「嫌い」で「好き」、愛すべきところだと感じます。

熊本地震後、街が崩壊したとしても、「この街で生きていく」という言葉を多く聞きました。自己愛が強いから郷土愛が強い人が多いのだと思います。東京に出て外から見ると、熊本のもったいないダメなところが目につきますけど、50歳を過ぎると、やっぱり故郷に心が向きます。自分の生まれ育った熊本を俯瞰して見ると、景色や情緒、人が作り出す空気が愛おしく感じます。それを裏切りたくない。熊本はそんな場所ですね。

―一方で、高良さんは熊本のどんなところが「大好き」なんですか?

(高良)父が旅行会社に勤務していたので、北九州や福岡など様々な土地で暮らしました。転校が多かったのでそれぞれの土地で馴染むということがありませんでした。でも、中学生の時に熊本に来て、祖父母の家が阿蘇にあるので毎年遊びに来ていたということもありますが、僕はやっと心を開くことができました。自分をオープンにしてくれた熊本が大好きなんです。

俳優になる時にも「熊本から通えないか」と事務所の社長にお願いしたぐらい好きです。仕事でいろいろな土地に行きますが、熊本は本当にホッとできる場所です。それは、行定さんがおっしゃるように「正直者が多い」からかもしれません。

(行定)熊本の人は、わかりやすい!

(高良)それこそ、今、行定さん正直じゃないですか。ずーっと、熊本嫌いって。

(行定)正直なところが好きだから。言わずにはいられないんだな。

(高良)だから熊本の人の前だと、話していてもあまり深読みして考えないです。東京って「察してよ」という場面が多くて、「どういうことかな?」と考えることがあります。でも、熊本は全部漏れててわかりやすい!だから、心を開放して付き合える、ホッとできる場所なのだと感じます。

何か熊本で「やらかしましょう!」

―皆さんにメッセージをお願いします。

(行定)今、熊本がちょっと疲弊している部分がありますが、それを表に見せない熊本が好きなんだけど、でも、奥底で疲れてる、ちょっと弱っている部分があるかもしれない。それをサポートするというか、一緒になって熊本で何か「やらかす」ことによって、元気になったり、それに乗っかって来てもらったり。もっと言えば「行定をこぎゃん時から知っとっけんね」と、そういう言葉に親近感がわきますね。お互いに僕も元気にしてくれる熊本であってほしいから、やれることはやっていこうと思っています。

(高良)「やらかす」って久しぶりに聞きました。悪いイメージの「やらかす」ではなくて、みんながニヤニヤしながらやっちゃうような「やらかしたね」って。そういうノリで「やらかしましょう」って感じです。

正直な熊本人の県民性とストレートすぎる郷土愛が、お二人の元気にもつながっているのかもしれないと、また前を向いて頑張れる気がしました。くまもと復興映画祭のみならず、お二人の「やらかし」に期待しています。

後編では、お二人の熊本でのおすすめの過ごし方やお気に入りスポットを紹介します。

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