金曜日の午前10時過ぎ、突如FMKラジオから流れてくる時代劇のような台詞回し。戦国武将のエピソードを語るその声の主こそ、今回の調査対象者である角岡秀昭さんだ。彼は知る人ぞ知る戦国オタク。その広く深い知識を買われ、歯科医師でありながらラジオ番組まで持ってしまったという逸材である。「番組も250回を超えましたが、まだまだ武将の話のネタは尽きないんですよ」と角岡さん。ちなみにラジオ出演時とは違い、普段は爽やかな話し声である。この知識量、さぞや子ども時代から歴史オタクで評判だったのだろうと尋ねると、意外にも戦国武将にハマりはじめたのは12~13年ほど前からなのだそう。「ある日、家で何気なくテレビを見ていたら、武田信玄をテーマにしたドラマが放送されていたんです。信玄自身の逸話や、有能な部下達の歴伝。今までは興味も持たなかったその生き様に虜になってしまいました」。そこで戦国スイッチが入った角岡さんは、当時高校生だった長男に歴史書を借り、朝まで読書に熱中したという。「面白いことに、その本は長男がまだ小さいときに、私が買ってあげたものだったんですよ(笑)」。もともとは理系で歴史に興味のない人生を送ってきた角岡さんだったが、この日を境に様々な書籍を集めては熟読するように。歴史好きだった息子さんたちに教えてもらいながらメキメキと知識を増やし、やがては父が息子さん達に教える程になったという。遊びも趣味も仕事も、熱中し始めたらとことん楽しみ尽くすという角岡さん。そこから類い希な行動力で、戦国オタクへの道をひた走り始めた。
そうなると、この戦国武将の面白さをもっと語り合いたい、発信したいと思い始め、結成したのが「戦国オタクの会」。結成当時は3人からのスタートだったが、現在は老若男女約80名の会員規模まで成長した。年に2回、会員大集合の軍評会を開いては、情報を交換し武将談義に花を咲かせる楽しい会だ。戦国武将のものを模した自前の甲冑3領を購入。さらに、息子さん達や奥さまと連れだって戦国武将ゆかりの地へ旅行に行くこと300カ所あまり。「旅行は、朝6時半には出陣! 一日に20~30カ所回るプランを立てて回ります。関ヶ原の雑木林の中に密かに眠る武将の墓を参ったり、高野山・奥の院にある明智光秀の墓石が『何度修理してもヒビが入る』という因縁めいた話を聞いたり…。現地を訪れるからこそわかる情報や実感できる空気に触れるのは、とても貴重な経験です。関ヶ原には4回行っていますが、まだ回れていない場所もあります」。歯科医院の院長という忙しい立場ながら、多いときで年に6回以上は出かけていたという角岡さん。成人した息子さん達と旅先であれこれ語り合うのも、楽しい一時なのだそう。角岡さんをここまで戦国武将に夢中にさせた魅力とは?「実は、歴史に名を残す優れた戦国武将は『戦で討ち死にしていない』のです。武田信玄しかり、上杉謙信しかり、豊臣秀吉や徳川家康も、皆、病死です。有名無名様々な武将が乱世の中でどのように戦い、腹を探り合い、駆け引きや調略を行い、その中で名将達がいかにして生き延びたか。その生き様や処世術は、そのまま現代の企業経営や社長像の在り方に通じるものがあります。歯科医院の経営者という立場を得た年代になった今だからこそ共感し学ぶ事も多く、知るほどに深くハマっていっているのでしょう」。出演するラジオ番組のタイトル「戦国武将に学べ!!」も、そのような魅力を伝えるべく命名されたものだ。
戦国時代は京都近辺が主な舞台、と思いがちだが、それは大きな勘違いだと角岡さんは語る。「熊本は昔から、天草や菊池などをはじめ有力な豪族がひしめいていた土地柄。検地でもしようものならすぐに一揆が起き、『肥後の統治は難しい』と秀吉をも悩ませていたといいます。だからこそ、加藤清正などの優秀な武将が遣わされた。九州も戦国武将がその力を示すまたとない舞台だったのです」。熊本で武将といえばまず、熊本城をつくった加藤清正が挙げられるが、そこだけに注目するのはもったいないと角岡さん。「加藤清正のあとに熊本城主となった細川氏は、その武勇はもちろん茶の湯や芸術面も評価され、文武両道に長けた希代の一家。田辺城の戦いで籠城していた細川幽斎が朝廷からの勅命で救われたり、最近では『本能寺の変』の後に明智光秀が細川忠興に『忠興公のために信長を討った』と綴った手紙が見つかったりと、細川家の評価を示すエピソードは余りにも豊富です。そしてその名家が現代まで続いており、『細川文庫』に300年以上昔の文献も当時のまま残っているのは、驚くべきことなのです。この価値を、熊本県民はもっと誇ってもよいのではないかと思います」。さらに、豊臣秀吉と関係の深かった小西行長や佐々成政など、実は名の知れた武将が多く熊本と縁を持っている。「戦国武将の街として、熊本はもっとアピールしてもよいのではないか、と私は感じています」と熱く語ってくれた。
一人は柳川の立花宗茂。戦では負け知らずで、加藤清正の命の恩人。民の事を考えた戦での立ち振る舞いに感服させられる武将です。もう一人は、優秀すぎるあまり秀吉が警戒し遠ざけていたと言われる蒲生氏郷。部下思いの逸話が多く残る、人徳の高い武将です。
企業経営者などに向けて、戦国武将のエピソードを通じて経営や社長像について話す講演会も開催。学ぶ点が多いと参加者にも好評だそう。
戦国時代の大河ドラマが放送されていたりと、小説や漫画、ゲームを通じて興味を持つのが第一ですが、やはりその舞台を実際に訪れることが一番です。地元に残る墓や遺跡、小さな資料館一つ訪れるだけでも、得られる知識はとても貴重です。
戦国めぐりで「犬山城」を訪れた時の写真。当時の城は山城がほとんどで、日本で唯一現存する12天守の一つである犬山城。その土地に立ち、武将が練ったであろう戦略に想いを馳せると楽しい。